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売れないからダメなのか?いや、お客さんを幸せにしてないからダメなんだ。

営業マンたるもの、数字を達成してナンボだし、売ってナンボである。

我ら営業界においては、売っている人間が偉い、売れてない人間は存在価値なし、という雰囲気が少なからずある。いや、もちろん経営サイドからしたら、営業マンには売ることしか求めてない、そう言われればそうですねとしか言えないのだけれど。

でも、一方で、「売れないひと」に、本当に価値はないのか。売れてない営業マンだって、入社してこのかた一度も売れていないかというと、そうではないはずなのだ。

たった一人のお客さんに任せてもらった時点で、その人は、会社にとって必要な、大切な営業マンの一人だ。だってそのお客さんは、どんな形であれその商品を必要だと思って、お金を払う価値があると判断をして、その営業マンから購入したのである。それはまちがいなく会社にとって大切なお客さんであり、大切な営業マンであるはずなのだ。

であるならば、売れない営業マンなら誰しも頭によぎったことがあるであろう「自分は売れていないから存在価値がない」とか、「自分はトップセールスの〇〇さんみたいに発言する権利はない」とか考えるのはナンセンスではないだろうか。売れていない営業マンも、売れている営業マンも、本来はどちらも会社にとって大切な営業マンであり、その先には数の違いはあれど、商品を購入してくれたお客さんがたしかに存在するからだ。

さらに、いま「売れてない」からといって、この先ずっと「売れない」かはわからないものである。たしかに、稀に「入社以来連続全社トップセールス」みたいな化け物営業マンは存在する。それはそれで、オリンピック金メダリストとまでは言わないが、我ら営業界においては誰もが憧れる、とても素晴らしく価値のあるタイトルだ。

じゃあ果たして、オリンピックで37位だった選手には、まったく存在価値がないのか。はたまた、オリンピック出場権も得られなかった、国内6位の選手は、その競技界で発言権があってはいけないのか。自分で自分の成果を認めてはいけないのか。はたまた、この選手は、たったの一人も幸せにしていないのか。

私は、違うと思う。

圧倒的な結果を残した人は、たしかに称賛されるべきで、これは決して誰にでもたやすくできることではない。でも、結果を残したから必ず価値があるのかというと、それはわからない。

なぜか。

営業マンの本当の価値は、お客さまの満足度や幸福度ではかられるはずだからである。どんなにものすごい数字を作り上げても、極端な話、その人のお客さんが一人も幸せになっていなければ、その営業マンの存在価値は高いといえないだろう。

国内でも超有名なアレやこれやを手掛けた、尊敬するマーケティングのプロの人も言っていた。

「でさ、キミはいったい何人の人を幸せにしたの?」と。

この問いは、必死で数字を追いかけてきた多くの営業マンにとって、すこしドキッとするものではないかと思う。もれなく私も、ちびまるこちゃんによくあるシーンのごとく、つらーーーっと右頭部に汗が流れたのを覚えている。私はこれまで営業マンとして、何人の人を幸せにしてきただろうか。そして、これから何人の人を幸せにできるだろうか。

たしかに、営業として高い成績を収めて、お金もタイトルも他者評価も、たくさん得られるに越したことはない。しかし一方で、たとえば私が60歳を迎えて営業マンとしての仕事を振り返った時、「いくら稼いだ」「これだけの結果を残した」この点だけを見て、自分を褒めてあげられるだろうか。

答えは否、である気がしている。

私は60歳か65歳か70歳かわからないけど、バリバリの営業最前線から身を退くとき、「いくらできたか」より、「どれだけ多くの幸せに貢献できたか」で自分を振り返っていたい。そこで満足感を得られる仕事を、これから何年もかけてしていきたい。

ちなみに私が完全歩合の営業をしていると知ると、「営業って大変そうですよね」とか「営業好きなんですか」と聞かれることが少なくない。それに対して、これまでは「営業楽しいですよ」とか、「営業好きですよ」とか答えていたのだが、改めて考えてみると、堂々と「好きです」とは言えないかもという気もしてきた。まぁ嫌いかと言われると、決して嫌いではないのだけど。

でも、営業しないで済むなら、しないで過ごしたい気もする。だって、断られるの怖いし、嫌だし、哀しいし。

初めての人に話しかけるのだって、ドキドキするし、度胸がいるし。もし次会うお客さんに自分を受け入れられなかったらどうしようという気持ちは、ゴリゴリ営業ですよねと言われがちな私も、いつだってもっている。

だから、まったく同じ人生で、営業しなくていい人生と、営業から逃れられない人生が選べるとしたなら、前者を選ぶかもしれない。

それでも、なぜ私が完全歩合の営業をあえてやっているのか。

その答えは、ひとつ。

自分の人生を豊かにしてくれるから、である。

たしかに営業は勇気もいるし、気も遣うし、神経をすり減らす。だけど、その扉を開いた向こう側には、自分の想像など軽く超越した世界が待っている。

めちゃめちゃ怖そうで怯えていたけど、いざ話してみると、信じられないくらい懐が深くて尊敬に値する人だった、とか。

絵に描いたような素敵なお客さんが、自分のことを唯一無二の担当者として信頼してくれ、必要としてくれることの喜び、とか。

たいした仕事もできていないのに、大切な家族や恋人をお客さんとして紹介してくれたときの有り難みとか、幸福感とか。

少なくとも私の人生のなかでは、営業という仕事を通じてしか、こういった機会に巡り合うことはなかった気がする。

あのとき勇気を出してアポイントをとっていなければ、あのお客さんとは出会っていなかったな。

あのとき思い切り飛び込んでいなければ、あのお客さんの担当にはなれていなかっただろうな。

あのとき断られていなければ、人として大事なことに気づけていなかったな。

まるで営業って、人生の縮図のような職業なのかもしれない。

まぁたしかに誰もが憧れるような、魅力あふれるキラキラした仕事ではないのかもしれないけれど。

それでもいま、もし私が就活を控える若者に「営業ってどう思いますか」と聞かれたとしたら、間違いなくこう答えるに違いない。

「営業、楽しくないこともいっぱいあるよ。むしろ、楽しくないことのほうが多いかもしれない。でも、営業っていう仕事は、きっとあなたの人生を豊かにしてくれるよ」と。


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