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人と人はわかりあえないのか?分かり合えるのか?『他者と働く』を読んで考えたこと

読もう読もうと思っていた『他者と働く』を読んだ。
私は夫によく仕事の相談をするのだが、チームのことを相談すると最近はだいたい『他者と働く』を引用する形でコメントが来るくらい、夫からとてもオススメされていた本。

私たち夫婦は価値観は似ているのだが、人間関係についてはかなり違った見方をしている凸凹夫婦だ。

私は、人と人は最終的にはわかりあえる、と信じて生きてきた。
夫は、人と人はわかりあえないものだ、と思って生きている。
あまりにスタンスが違いすぎて、夫と話をしていると、自分の捉え方・考え方がいかに偏ったモノなのか、ハッとさせられることが多い。

「人と人はわかりあえる」と信じたい気持ちは今も消えていないが、この1年の試行錯誤を経て、「人と人はわかりあえないのかもしれない」というスタンスに立って物事を捉えてみることにチャレンジしている。

『他者と働く』の副題は、まさに「わかりあえなさから始める組織論」だ。

わかりあえない、と絶望するのではなく、わかりあえなさから「始める」というのが、とてもいい。
わかりあうことが難しいからこそ、相手の言動を表層的に捉えるのではなくて、その背景などの文脈にも丁寧に寄り添ってみましょうね、という提案だった。

その関係性を作ることが「対話」であり、相手の文脈(ナラティブ)に寄り添うことで対話がしやすくなりますよ、という実践的な提案が多数書かれていた。

「対話」を軸に、そこに関わる全員で作るのがチームなんだろうなと思う。
一人の言葉、一人の表情、一人のアクションに影響を受けながら、チームというのはユラユラ変形していくものだ。
だから、そこに関わる人全員が必ずチーム形成に影響を与えていると思う。文化というのはゆっくりと醸成されていくものだ。

チームにおけるルールを決めて、それに個人を従わせていくというチームの作り方は、どうしても馴染めないし、組織の中で働く人が、機械の1パーツのように機能することを期待するような関係性はあまり好きになれない。
そこに関わる全員が、人格のある1個人として扱われる関係性を作っていくことが好きだ。

でも、個人のありのままの姿を受け入れたいがあまり、「なんでもあり」にしてしまうと、チームとして破綻することも身を以て経験している。

そこに関わる全員が個人として尊重されながらも、同時にチームとしての向かいたい場所は大切にしたいことを共有し、そのチームとしての言語を育ててくことが必要だよね〜と日々痛感している。それが難しいんだけど。とてつもなく難しいんだけど。だから苦しむんだけど。

抑圧してしまうことを恐れて、声を上げることに躊躇してしまうことが多々あるけど、ちゃんと個人の文脈に寄り添う努力をしながら、「わかりあえないかもしれないけど、わかりあいたいよ」という気持ちで自分の文脈も伝えることが重要なのかもしれないな。

この本はきっと繰り返し、これからも読むことになると思う。まずはチームの中で回覧したい。みんな読んでほしいよ〜。

2020/1/8 日記

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