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利便性について考える①「移動しない自由」の尊さ


すっかり移住社会、移動社会になり、都市部より地域へ暮らす豊かさが見直されている昨今。

一方で当たり前だけれど、「絶対地方なんかに住めない」という考えの人もいる。
何に重きを置くかはそれぞれの育った環境や価値観、経験値によるもので人それぞれ。

地方出身で、何十年東京に住んでも地方に憧れる私は、考えすぎかもしれないけれど
東京など都市部で育った人の、「地方なんか」という発言に、にとてもざわざわする。
ざわざわする、のは、言葉にしなくても「あんな不便なところよく住めるな」という意図を解釈するからだ。

先日も友人たちと地方の暮らしについて話題になった際、都心のタワーマンションに住む方が
「能登の復旧の遅れを見ていると、やっぱり(不便なところは)ちょっと。。」とおっしゃった。
都会派でだからタワーマンションに住んでいらっしゃるのであるのだけれど、ついつい田舎モン根性が顔をたし「とはいえ便利ってそんなにいいのか?」とひとりもやもやしている。

そこに生きる人の日々の営みは尊く、それは不便とかそういうものじゃないのだよ。貴方には得られなない素晴らしいものをたくさん持っているのだよ。

そもそも「不便」ってマイナスなんだろうか。
「田舎の不便」の一つにアクセスの不便がある。
移動したくても移動できない。アクセスしたくてもアクセスできない。そんな状況が今不幸にも起きている。

けれど、「生まれ育った場所、慣れ親しんだ場所を移動したくない」ということの尊さを想う。
もちろん命は尊いけれど、そこに住み続けたい、という尊さも命の尊さに匹敵するくらいひとりの人生においては大事なことで、人の尊厳にかかわることじゃないか。
今の状況を見ると堪えられない。

移動する自由と、移動しない自由。
自らの意思に反して移動することの重さ。今回改めて深く考えさせられる。

と色々考えるわたしの若い頃の愛読書は
有島武郎の「生まれ出ずる悩み」です

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