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留年・中退・退職上等なライター つじ ともみ。について

※私は元ヤンではございません(笑)
※こちらのnoteは2018年9月に書いたものを2020年8月にリライトしています。

みなさんこんにちは。フリーライターのつじ ともみです。

2020年8月現在、ライターになってから1年6ヶ月以上が経ち、状況なども仕事に対する考え方も変わりました。それに伴い、新たにプロフィール記事をリライトすることに。

今回は、経歴なども改めて整理して書ければと思います。この記事を通して少しでもつじのことを知っていただけたら幸いです。

私について

大まかになりますが、私はこんな人間です。

・名前:つじ ともみ。
・生年月日:1990年6月5日生まれ O型
(ガッツ石松、アダム・スミスと誕生日が一緒)
・職業:ライター・編集者
(SEOを目的とした記事や企業様のブログの執筆および編集ディレクション)
・好きなもの:化粧品、SNS、ピンク色の小物、文字を書くこと

性格は価値観がぶっ飛んでいる変わっていると言われることが多く、経歴や経験も一言では表せないくらい紆余曲折している面もあります。

長くなるかもしれませんが、大まかにこれまでに経験した大きな出来事をお話できたらと思います。

幼少期について

幼少期は比較的人懐っこく、ハッキリとした性格でありつつも、素直に甘えることを苦手な子どもでした。母は病弱で寝込んでおり、父は仕事で忙しかっため家のことはあまり関与せず。

そのため、幼稚園の送迎やその他の世話は父方と母方の祖母がメインに行なってくれました。

8歳頃に段々と母と顔を合わせる機会が減り、気づいた頃に両親は離婚。この頃から「親に頼り、甘えられる環境ではない」ことを悟り、我が道を歩み始めます。

中高〜大学について

元々勉強が得意ではなく、好きなことが音楽しかなかった私は、吹奏楽部に入部して音楽の道に進むことを決意。

反抗期も重なり、親とのコミュニケーションがとれなくなってた私は当時まだ日本で運営していたカフェスタSay Clubで知り合った大人たちと交流を深めていました。

※物怖じしない風の立ち振舞いは当時、大人と会話をしていたことを人より多く経験していたものからきていると思います。

卒業後は両親の反対を押し切り、東邦音楽大学附属 東邦高等学校に進学。しかし、高校1年の7月に音楽の道を薦めてくれた師匠が亡くなり、スランプに。

反抗期の娘とコミュニケーションがとれない父と、私の生みの親である母の悪口を言う祖母、我が道を進むことを冷たい目で見る兄に囲まれて育つ私は、家族に対する不信感を更に深めてしまいます。

その後、高校2年の頃にスランプとストレスが積み重なって高校を休学してしたと同時に留年。18歳になる年に同高校に復学したものの、クラスに馴染めず不登校で中退します。

19歳になる年は1年間ゆっくり過ごして、二十歳になる年齡で通信制の高校に復学しました。3度目の正直ならぬ、3度目の高校2年生。

この後はキチンと卒業して、尚美学園大学に入学して音楽の道を目指します。

大学生活

クラシック音楽の出来レースの世界に嫌気がさした私は、大学で作曲を専攻することに。

個性豊かな同級生や柔軟な考えを持った先生、そして刺激のある勉強内容を通して、学校で勉強することの楽しさを学びました。
(人生の中で一番勉強した時期でした)

在学中はCM音楽や映画音楽を作る職業作曲家を目指して奮闘。しかし、在学中に世間から見た音楽をやっている自分に対する目が嫌になり「この状況で一生涯を過ごすのは耐えられない」と思い、音楽の道に行くことを辞めることにしました。

私が言われて凄く嫌だった言葉はこちら。

・音大生って凄いね!才能あるんだね
・作曲って自分にはできないから尊敬します

今後、私は生き方や価値観ではなく、音楽をやっているという肩書しか見られなくなるのだろうか。人間、向き不向きがあってたまたま私は音楽が向いていたと思って進んだだけなのに、なぜこんなことを言われなければならないのだ。

この悩みによってどんどん疲弊している自分がいることに気づき、音楽の道に進むのを辞めることになりました。

大好きだった音楽はプレッシャーに変わり、自分の本質を見られないことによるストレスで辞めましたが、今思えば才能もなかったのだな、と感じます。

その後、エンジニアやデザイナーの友人が多かったことから、音楽の次に近い世界だと感じていたWebの世界に飛び込みます。

会社員時代

会社員時代はWebサイトの受託制作とSES(システムエンジニアリングサービス)を展開する10人規模の会社にて、SESの営業を担当していました。

小さい会社で学校の延長線のような感じで人間関係が決まる会社だったため、なかなか馴染めず1年4ヶ月で退職。

その後、Webマーケティングの会社に転職します。

転職先はSEO(Search Engine Optimization)という、検索順位が上位に上がるコンテンツを制作して集客を図る手法をクライアント先に提供する代理店です。

内定後は化粧品業界のクライアントに特化してさまざまな広告の支援を行う部署に所属。元々化粧品が好きだったのもあり、自ら配属を希望しましたが、仕事中に人世の転機を迎えます。

転職して半年後に結婚

自分でも予定外の結婚です。当時交際3ヶ月の男性と結婚をすることになりました。

私の所属する部署は忙しく、男性が多い部署だったため、結婚してすぐに仕事と家庭を両立したく定時で帰ることを希望した結果、腫れ物扱い状態に。

また、結婚してすぐは今後のキャリアについて悩んでしまうものです。

この先、産休・育休の転機と同時に職種を変えるとなると、子育てと慣れない仕事のストレスになる」と考え始め、今のうちに社内での働き方を変えるほうがリスクは少ないと思い、部署異動を申し出たところ、あっさりNG。

人間関係に悩んでいたのもあり、退職することとなりました。

※その後、2020年2月末に離婚をしています。

現在の仕事について

転職活動をしようにも行きたい会社はない。しかし、働かないわけにもいかない。これまでのスキルを活かしながら好きな仕事・やりたいことをやるには?と考えたときに行き着いた仕事が今の仕事でした。

運良く退職してすぐに執筆の依頼をいただく&コンテンツ制作の会社でのアルバイトが決まったため、2018年の年末まではアルバイトとライター業を並行しながら仕事をしていました。

そして2019年1月からは大きな仕事をいただきライター業一本で働くことに。その後、2020年7月には編集ディレクションの仕事をいだけるようになり、今は皆様に支えられながら仕事を行っているという状況です。

フリーランスになって良かった?

会社を辞めたときは不安だらけでしたが、今はなぜもっと早くフリーランスの道を歩まなかったのか?と思うくらい、楽しく恵まれた環境で働けています。

会社員時代は仕事を進める際は、会社の決裁が必要でした。しかし、フリーになった今は、自分の判断で動けるため仕事の進み方が加速。会社主体ではなくなったため、自分の考えを素直に言えるようになりました。

また、雇用主と労働者という関係ではなくなったものの、業務委託契約の仕事は、私に大きな責任感を与えてくれます。

もっと良くしていきたい。そして自分もスキルを上げていきたい。という考えから、クライアントさんとは対等に接するようになり、いい関係を築けるようになりました。

私にとってクライアントは依頼主でもなければ雇用主でもありません。業務委託契約は締結しているものの、一緒に媒体を良くしていく仲間だと思っています。

こんな考え方で働いていますが、一緒に仕事をする人として私を選んでくださる皆様には感謝しかありません。

私の未来の私はどうなる?

今、私は大変ながらも自分に合う仕事ができていますが、この先どこかで別の仕事を選ぶかもしれませんし、ずっとこの仕事をするかもしれません。

例えどんな仕事をしたとしても自分で自分の道を切り開いていき、死ぬときには「色んな人にネタとして話せる生涯だったな」と思いながら死んでいきたいと思っています。

※尚、自殺願望はありませんし、手相上は生命線が長い&長生きの火星線があるゴキブリ並みの生命力の持ち主らしいのでご安心ください笑

さいごに

各SNSでもさまざまなことを書いているのでぜひ見てください!

実績はこちらにまとめています。

最後までお読みいただきありがとうございます。今後もつじ ともみ。をよろしくお願いいたします。

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