金木犀の香りが次に消えてしまうまでは、まだ
旅のことを考える。いまから国際空港へ向かって、飛行機に乗って、何時間かかけて、海を越える。宿を取って、街を歩いて。
今はまだ少し違うな、と感じる。あんなにときめいた、異国の道を歩く時間。
振り返れば、私が欲しかったのは「人生への納得感」だったのだと知る。大切にしたかったのは、得たかったのは、「今を自分が選んでいる」実感だとわかる。
旅に出られない、という小さな檻にぎゅう、戸詰め込まれているような気持ちや状況。それと、いつ何処へ旅に出てもいいけれど、今は出ない、と選べる状態は、事実としては一緒だけれど、気持ちの上ではぜんぜん違った。ということを、私は学んでいる。
隙あらば、いつだって何処へでだって旅に出たかった。5日でも、8日でも、2週間でも、1ヶ月でも。海が見たければ南へ、遺跡が見たければ中米へ、ひとりになりたい時は、ただひたすらの遠くへ。
フェーズや、谷や丘のある旅への愛に、驚くとともに納得する。決して消えるわけではない。また灯るべきタイミングを、じっと、今は紅葉を楽しみにするように、ラグビーなぞを見ながら待っている。
部屋に、旅続きでは迎え入れられなかった、手入れの必要なグリーンを置く。葉が風に揺れる。もしかしたら、すこし本当に紅葉するかもしれない。
街を歩けば、金木犀。探して歩く時間など、持てたことがなかった。否、持とうと思ったこともなかったのだ。
年を重ねてゆくということは。時間を、うまく使えるようになるということ。ようやく大人になれてきた、と感じる。
できたら犬や猫と暮らしたいのだけれど、さすがにそれは旅に出ることができなくなってしまうから。それはまだ先の人生に、おあずけしておこうと、ゆっくりと次の旅のことを考え始める。けど、きっと、金木犀の香りが次に消えてしまうまでは、もう少し。
いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。