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「書き続ける私」を作ってくれたのは、noteだった #noteでよかったこと

「ブログをやりたいんだけれど、何のサービスを使ったらいいかなぁ?」と、相談していただくことが、極端に増えた。年が明けて、2月が来れば、ライター歴は6年目に入る。当たり前かもしれない。いつのまにか駆け出しの時期を通り過ぎて、立派な中堅みたいな数字になってきた。驚く(それはもう本当に、心底)。

答えは、いつも一択だった。「世の中にはたくさん『書ける場所』があるから、書いていて一番心地よい場所を見つけるのがいいと想うんだけどね。中でも、私はnoteが大好きで」。

飽き性で小心者で、それでいて誰かに見守っていてもらえないと続けられない困ったちゃんの私は、とにかく最初、書く場所が欲しくて、手当たり次第「すべてのブログサービス」でアカウントを作った。

はてなブログを書いてみたり、livedoor Blogがいいと聞けばそれを触ってみたり、アイドルばりにAmebaに侵入してみたり、なんだなんだと、LINE BLOGに手を出してみたこともある。

当然、WordPressで独自ドメインのブログを開設したこともあれば、WordPress.comだって使ったことがあるし、なんですか、Tumblrはもちろん、最終的にはSquarespaceにまで行き着いてしまって、ううん、でも、やっぱり「なんか、違うんだよなぁ」と感じてしまった。

そして、とにかく自分の城を持たずして、寄稿記事の作成だけを続けていた(他にもまだまだ、触ってみたサービスさんはあった。全部、もちろん優れていて、おすすめしたいものばかりなのだけれど、その頃の私にはどうしてだか合わなかったみたいなの、という話です)。

そんな私が、気づけば3年以上ユーザーとして居座っているサービスが、noteだった。noteが、世界で一番心地いい。

「書きたくなる」のだ。

そして「書き続けたくなる」。

「余計なことが要らない」というのも、大きな理由なのだと思う。

「書きたい」
 ↓
「じゃあ書こう」
 ↓
「公開」

一文字目は、タイトルは、アイキャッチは。なんだか余計なことを考えなくてよかった。イラストnoteも、音声noteも、つぶやきnoteも使ったことがあったけれど、私がとくにお気に召したのはとにかく「テキストnote」だった。

今まさに、このnoteを書いている。それ。

俗に言う「UI」的な要素の他にも、noteには初期から「褒めてくれる」文化があった。それはすなわち、「見ているよ」という応援の意であった。おすすめnoteに選んでもらうこととか、あなたのnoteが今まで何回「スキ」されてるよと教えてくれるとか、なんだろう、「お母さん」みたいなね。

付かず離れずの「応援」がそこにはあった。気がしている。私は自分のnoteをおもに、初期は海外で一人で書くことが多かったから、そしてそのnoteは誰にも先に見せずに、とにかく遠く離れた世界のどこかの土地で、「公開」と押すだけのものだったから。

きっとどこか、心強かったんだと思う。真白い、真新しいキャンバスに、私だけの絵を描いていくこと。それが、私がnoteに抱くイメージだった。否、今でも「そのままのイメージだ」。

私のおもな生業は書くことなのだけれど、どうしても、どうしても行き詰まった時だとか、「とにかく伊佐さんの世界観をすべて出して」とオーダーいただくような際だとかには、必ずといっていいほどテキストnoteの下書きで、その原稿を書き始める(じつはね)。

完成させるのは、また別のアプリだ。たとえばエバーノートだったり、グーグルドキュメントだったりする。でも、全部大切な「一行目」は、note。

「気持ちよくいられること」や「心地よさ」は、時折ほかの全てを凌駕することがある。「毎日続けること」って、本当に尊いけれど、じつは真に大切なことって、続けたいとか、始めたいとか想った時に「続けられる仕組みを自分に作っておいてあげること」だと思っている。

それがnoteにはあると、私は感じている。だから、今日も真白いキャンバスにまるで絵を描くように(絵は描けないんだけれどね)、降る言葉を綴る。

始めることとか、続けることって、構えてしまうともう絶対に動けなくなってしまう。まずは「やってみてやってもいいかな」みたいな軽い気持ちで、ね、新年だし。もし「何かをつくって生きていきたい」と願うひとがいるなら、同じくこの場所で、つくるのはどう、と今日雪の国で私は想う。

(トップ画像:photo by kicchan

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