「一般」で語られる「結婚」や「夫婦関係」はもう終わり

パートナーシップで悩んでしまう人、多いだろうなあと思います。私もです。

私もです、とか言いながら、私の夫は中国の人で、ここ1年半、会っていません(一応、コロナさんのおかげで)。さらに言えば、夫は中国(瀋陽)、私と娘は日本で、すでに6年間の別居の実績ありです。

さらにさらに言えば、私たち、連絡取り合うのも一週間に1回くらいです。以前はもう少し頻度高かったですが、今はもう、「生存確認」程度になりました。

もともと人種に加え性格も全然違う上、ダメおしで言葉では完璧に理解し合えない(夫の日本語は片言、私の中国語は幼稚園レベル)ので、これ以上、オンラインでコミュニケーションをとっていくのが、しんどくなったのです。お互いそうです。

この状況を周りに説明すると、決まって

本当に結婚してるの?

もしかし、、て、ぎ、偽装結婚?

・・・(別れそうだな)・・・。

みたいな反応になるので、こちらとしても積極的にパートナーについて話すことはしなくなり、ますます「お一人さま」「シングル」っぽい雰囲気を振りまいております。

ここで宣言するのも何ですが、離婚はしてないです。ですが、結婚している状態とも言い難く、自分たちのパートナーシップについて、人に語るのが非常に難しいところに来ているのは確かです。

実際、私にはもう「結婚」どのような状態で、私たちのようなあり方を「夫婦」と呼んでいいのか、よくわからない!

よくわからない、ところで止まっていれば、まだいいんです。

問題は、世間一般でそうだと認められる「結婚」や「夫婦」というものと比べ始めてしまうこと。

比べたら、私たち、秒で「終わり」ます。ただの、知り合いレベルです。

書類で結婚を証明することはできるし、何かこう情熱的なやりとりが日本海を隔ててあるわけでもないし、けれどなんだかんだで、別に仲がすんごい悪いわけでもない。

そんなもん、結婚じゃないだろう、夫婦ってそういうことじゃないだろう、と思う人もいるでしょう。

私も実際、そう思うし、何やってんだろうなと自分が虚しくなる時がある。この一年は特に、お互いの言いたいこともやりたいことも、言い合うこともオンラインでしかできず、思いつめた結果、シワが増えました。

でも、1年分の夫婦感のやりきれなさを味わってみて、実感することがあります。それは、

苦しいと感じるのは決まって、

誰かが作った結婚の形や、誰かが理想とする夫婦像と、自分たちがどれほどかけ離れているかを認識する時です。

私たちは社会的には褒められた状態になく、隣の芝生は永遠に青々と繁っている。そして、「こんなことじゃダメだ」と何かが脳内で始まる。

「なんでわかってくれないんだ!パートナーなのに!」とか。

「好きだったら結婚記念日とか花贈るもんだろう、普通!」とか。

こうなると、辛いです。虚しいし、終わりがない。でも、こうあるべきだと信じこまれてきたものを、否定する方がもっとしんどかったりする。

同性婚や結婚そのものを選択しないパートナーシップ、私たちのように別れるほどでもない夫婦らにとっては

長らく人間社会のベースを作ってきた結婚制度が、今個人の選択、あり方を苦しめる時期に来ているなあという気がします。


もし、同じようにパートナーシップで悩んでいる人がいたら、です。

一旦、自分以外の誰かが作った制度や歴史、価値観、固定概念を「よいしょ」とおろしてみてほしいです。自分が作ったもの以外の、全てです。

そうして、もう一回自分をみてみた時、自分が笑っているのか、泣いているのか。案外、これでいいじゃん、って思ってる自分がいたりするかもしれないってことです。

苦しみを与えているのは、相手でも親でも世間でもなく、「自分」だったりする。

私は、結構、そうだったんです。現状に、実はあまり不満がなかった。それでも結婚してるつもり?な状態でも。私自身には、「はい!」って自信をもって言える前向きさがあった。

パートナーがどうあろうと、どんな人であろうと、実はそんなに大した問題ではないのかもしれません。

だって、自分が選んだ人です。自分が、です。夫のことは手放せても、自分は一生、手放せない。

私が精一杯、自分を好きで、大事にしようと思えた時、やっと「別れましょう」と言えるのかもしれないし、「あの農村の土山のお墓に一緒に入ろうね」と言えるのかもしれません。

どんな「ムリゲー」って思うような人でも、結局は新しい自分になるための道につないでくれちゃうってのは、最近すごく思いますね。

さて、今日は娘の誕生日でした。私にとっても大事な、記念日です。

もしかしたら連絡ないかもしれないなと思っていたら、夫から連絡があり(1週間ぶり)、「えんちゃんおめでとう。誕生日の日に、日本大使館から連絡があって、ビザが降りたよ」とのことでした。日本語は、めちゃくちゃでした。

どんな「今」も、自分の選んだ道なんだと思っています。




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