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たった一人の情熱から始まるものづくり

先週、愛媛県立美術館で開催されていた「鈴木敏夫とジブリ展」が閉幕しました。来場者12万人ですって。すごい。

展示をご覧になった方もいるかもですが、この展示、プロデューサー目線で紐解くジブリの全て、といった感じで、

プロデューサー鈴木敏夫さんの思考、手法が、余すことなく(でもないんだろうけど)、ジブリの世界観と共に展開されていて感激しました。

ジブリの作品世界、というより、制作者たちのブレイン、頭の中へダイブしていくような展示でしたね! 

ナウシカやラピュタが生まれる前夜、手書きの企画書や予算組の資料などを目にして、心ふるえました。


私が最も印象に残ったのはやはり「企画書」。

ナウシカやラピュタ、トトロが生まれる前夜、この作品がどういう趣旨のものなのかを説明し、そして、それが「なぜ今作られる必要があるのか」を語る手書きのお宝(企画書)を目にして、うっとり・・・。ついつい熟読してしまいました。

何がすごいってその作品(世界観、内容)としての凄さよりも、私は、やはり宮崎監督の天才性を見抜き、周囲を巻き込んでいった鈴木さんの手腕がすごい、とみんなと同じことを当たり前のように思いました。

そのすごさが、企画書の構成、文章に全て現れていた。

確かに、鈴木さんによって、世界に誇る天才が産みだされたんだと思いました。

本づくりに落とし込んで考えてみると、私がこうして本づくりに魅せられるのも、頭の中に描く「こんなイメージ」「こういう世界観」を形にしたいという、まだ形になっていない<想い>があるからに他なりません。

だけど、企画書においては、この作品で何を語るのかが説明されなければならないのと同時に、

なぜ、それが今、必要なのか?
なぜ、この時代に、この本なのか?

を説明できなければ次につながりません。説得力とも言いますね。そして、その文章化が難しい・・・ところだったりする。

なぜ、このタイミングで、この本を制作するのだ?

ここが、客観的であればあるほど、巻き込める人数は増えていくのかもな、とも思いました。

(こちらの記事ご参考に)


ただ、展示にあった企画書から感じたことは、

当事者たちの「今、これを子供たちに届けなくてどうするんだ!」という怒りにも似た熱量です。

そして実際、それらをガソリンにしてロジカルに説明していく鈴木さんの企画書からは、ただ単に筋が通っている、冷静である、こと以上の「何か」がありました。

自分なり解釈すると、それは、ものづくりというのは、たった一人の熱量から始まる、という感動だったのかもしれません。


自然と人間との、綺麗事ではない関係性。失われていく何かをアニメーションで表現して、なんとか、今の子どもたちに手渡したい。

あるいは、宮崎監督という天才と一緒に仕事がしたい。そういうことだったのかもしれない。

なんであれ、きっと、そうした想いが出発点で、何十億となるお金やリソースのことは本当に二の次のことだった、ということなんだと思います。

比べられるものでは到底ないけれど、世界を圧倒させるクオリティでアニメーションを作り続けたジブリの世界でも、私たちの本づくりにおいても、

やるべきことは、本当に、同じなんだな、

と感じます。

子供の頃あんなに夢中になったジブリの世界も、考えてみれば、当時は大人たちが手書きで書いた、紙切れ4-5枚の上で繰り広げられたことから始まっているんですよね。

そうした大人たちの熱量によってナウシカが生まれ、ラピュタが生まれ、トトロが生まれ・・・

売れようとか、評価されたいとか、そういうものであったら、ジブリは今のジブリではないわけで、

純粋な想いを形にしていこうとする大人たちがいてくれたおかげで、私たちはなんか大事なものを、いつも、金ローとかw、映画館とか何かしらで思い出せているという。

改めて、私はジブリ作品に育ててもらったんだと実感しました。

大人たちが手渡したかったものを、私もちゃんと受け止められたのかどうか。

それはわかりませんけれど、ジブリのある日本に生まれ育って、これらの作品を日本語で味わえる幸運には、感謝しかありません。

そして、多分、ジブリから渡せるものは渡してくれたんだろうと、最新作品を見ても思いますね。あとはどうするか自分次第だよ、と託されたような気がした展示会でもありました。

全国を回っているのかな? まだの方はどこかで「また会えたね!」看板に再会できますように!


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