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寒々しい社会は嫌じゃない?

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昨日、Facebookに上記の投稿をしまして、リディラバの傍ら、『井上ティーモの人生、七転び八起き』という個人プロジェクトもやってくぞぉ、という気持ちになっております。趣味って今まで一個も思いつかなかったんだけど、このプロジェクトが自分にとって、末永くお付き合いできる趣味、ひいてはライフワークになればいいなと希望的観測も抱いております。私は、三日坊主の権化なのです。

で、なんでそもそも、こんな取組みを始めようと思ったのか、を書いておくと、まず身も蓋もないこととして、

「いいね」が嬉しい

というのがございます。

最近、恥じらいもなく言えるようになってきたのですが、何かを発信するじゃないですか。んで、それに「いいね」が付くじゃないですか。めちゃくちゃ嬉しくないですか?? FacebookとかTwitterのいいねの数、かぞえちゃう自分がいませんか??w 

承認欲求が満たされるという部分は勿論あるのだと思うのですが、自分が発信したことに何かしらの親しみや共感を持ってもらえたこと、そして発信を通じて、誰かとのつながりを感じられること。それが、非常に嬉しいんですよね。

加えて、自分としては、「発信」に至るまでのプロセスもまた、喜びのひとつです。例えば誰かと会っている時に、その人の素敵さを、自分なりの言葉でうまくとらえられたと思う時がとても嬉しくて。生きていく中で入ってくる様々なInputの中からテーマを切り出し、自分の頭の中でうまく言葉に置き換えて(Process)、それをOutputする。この一連のプロセスが、あくまで自分にとって納得感のいく形で「ハマった」と感じる瞬間に、なんとも言えない悦びを感じます。そして、その表現で相手が喜んでくれた時なんてのは、例えば飲み会の帰り道、僕はホクホクしながら帰っております。

発信するまでの悦びと、発信した後の喜び。このふたつが、僕は純粋に好きで、自分なりに発信できる「場」が欲しいなと思ったのが、10月でした。

そして、せっかく場を作るなら、漠然とでも、場に大らかなベクトルが欲しい。何か、発信をすることが意味を持つような場にしたい。そんなことを考えながら、のんびり頭の中で転がしていました。

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Twitterでも、ぼちぼち投稿したりして。

いったんは「Park」という伸びやかで、誰しもが出入り自由で、人生のドラマが実はあったりする。「広場、公園」という場をモチーフにしながら、自分はその管理人、とかどうかな? と思ったのですが、「Park」ってなんか、シュッとしてるな、と。

もうちょっと、すっとこどっこいな感じの方がいいなと思って、くるくる頭の中で泳がせて、「井上ティーモの人生、七転び八起き」にしてみるか、と決めました。

コロナ禍になって、オンラインイベントが一気に盛んになって、色々なイベント案内が流れてきます。いずれのイベントも、顧客ペルソナが明確に設定されていて、マーケティングだったり、ブランディングだったり、新規事業だったり、経営戦略だったり。それぞれの領域で「価値ある正解を知る」プロフェッショナルが登壇して、参加者はプロから学ぶ。そういうイベントが目白押しな印象です。で、それはそれで間違いなくニーズはあるし、学びの場としての価値もあるんだろうし、全然否定する気はない。

そのうえで、自分が何かしら、大らかなベクトル、テーマを持って場を作るなら、スペック・スキル・収入などの観点から人を細分化するのではなくて、

もっと浪花節で、落語的で、人生っつうのはさぁ、色々あるけど、大丈夫よ、大丈夫大丈夫。生きてりゃ、絶対ダイジョブだから、と言えるような場を作りたかった、んだと思います。

母親が急逝したり、結構身近な人がこれまで3人自殺してたり、あるいは、リディラバで働く中で出会うソーシャルセクターの人たちの、仕事を通じた「祈り」。困難な立場にいる人たちに対する「大丈夫だから、一人じゃないから。俺が、私がいるから」という祈りに触れる中で、影響されたんだと思います。浪花節で落語的で、赤塚不二夫的な「だいじょうぶだぁ」な場を作りたいと思ったのは、そんなことが理由だと思います。

「井上ティーモの、人生七転び八起き」。依然として、何をするかは、ぼちぼち考えるかぁと思ってますが、まずは週に1回は更新を続けてみようと思います。

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私は、とても喜びます。No more 三日坊主。

ではでは。

お読みいただき、ありがとうございます。七転び八起きな人生を、みんなで楽しみ合いながら、笑い合いながら暮らしていけたらいいなぁと思って、noteでマガジンやっております。もしよろしければ、フォローいただけると嬉しいです(^^