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タイのローカルバスでの神対応から学んだ異文化の魅力

「ヴォン、ヴォン」と車のエンジンが低く鳴り、バンコクの通りを車が行き交っていました。ムワッと汗ばむ気温と街のざわめきの中で、私は一人、初めて乗る路線バスに揺られていました。

時は少し遡り、バンコク国立博物館の観光を終えた私は、今いる王宮エリアのタクシーはボッタクリが多いことを思い出し、路線バスに乗ることにしました。

次の目的地は大理石寺院。最寄りのバス停の路線を調べると、近くまでは行かないけれど、歩けなくはない場所まで連れていってくれることが分かりました。

路線バスに乗った後、空いていた運転手の後ろの座席に腰を下ろします。運転手が親切にもどこへ行きたいのか尋ねてくれました。私はグーグルマップを使用してバス停を指しましたが、運転手はそのバス停の側にブックマークしていた寺院があったのに、気付いたようです。

運転手は「オー、ワット。OK。」とにこやかに言いました。山田孝之を濃くしたような若い運転手でした。

しばらく経った後、バスの運転手がソンテウの運転手にクラクションを鳴らしてしきりに大声で何かを言っていました。

(車が邪魔だったのかな?あの運転手、なんか怒ってる?)

口論をしているかのような、不穏な雰囲気に居心地が悪くて、ぼんやりと眺めていました。

タイのローカルバスで驚きの神対応

そして、次のバス停に着いた瞬間、多くの乗客が次々とバスを降りる中、バスの運転手が私に向かって手で降りるように促すジェスチャーをしました。しかし、まだ目的地のバス停まで数駅もあるはずです。運転手が指差す先には、別のバスが停まっているのが見えました。

バス運転手が私に乗り換えるようジェスチャーをしているのだと思い、私はそのバスに急いで乗り込みました。

バスに乗り込む前に、そのバスの番号を記憶しておき、バスの中で行き先を確認してみると、驚きの事実が判明しました。前のバスと同じ行き先のバスだったんです。無駄にお金を使い、同じバスに再び乗ってしまってました。

(いったい、どういうことなの・・・?)

そこではたと気がつきました。あのバスの運転手はソンテウの運転手と口論をしていたわけではなく、私を寺院にまで送ってもらうように頼んでいたのです。バスを乗り換える必要はなかったんですね。

それと同時にただの観光客にそこまでしてくれるのか、と海外で思いがけずに受けた親切に驚きました。そして、彼の厚意を無駄にしてしまったことが悔しくなりました。

運転手はなぜ神対応ができたのか?

この体験は日本ではあり得ないと思います。外国の人に比べて日本は閉鎖的だと批判されることがありますよね。確かにこういう体験をすると、現地の人の親切さに感動して、その国のファンになるのもうなずけます。

でも、日本人がこういう対応をできないから、ダメだというのも違うと思うんですよね。

職務の時間を割いて、一人だけに特別な対応をすると、他のお客さんと不平等になります(実際、運転手が話している間はバスは動いていない)。ただし、そんなことを気にする人はいないと思える、おおらかな雰囲気がタイにはあります。

実はタイの仏教において、徳を積んだり善行を行うことを「タンブン」といって、普段から他人には親切にすべしという価値観があるようです。

運転手さんが親切にしてくれたのは、御本人の性格もあっただろうし、仏教の教育の賜物もあったのかもしれません。

一方、職務に対する誠実さ、真面目さというのが日本の良いところだったりします。時間通り正確にお客さんを目的地に届けるのが、良いバスの運転手だという見方もありますよね。まさに勤勉な日本人という感じです。

こういう自分の価値観を見直すきっかけになるのが海外旅行の良いところですね。貴重な体験ができましたし、タイのことがもっと好きになりました。

#わたしの旅行記

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