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じゃない方ゲー人による、平成ゲーム業界回顧録 #28【完結】

── こうして、僕の商用デビュー作はほろ苦い思い出となったが、高い評価こそ得られなかったものの、悔しい思いを含め、開発作業自体は楽しいことばかりで、自分の考えた企画がこうして形になり、世の中に残せたことは非常にエキサイティングな経験で、満足していた。

また「ドラゴンズ・アース」にしても、後に発売された”あるゲーム”を見たことで、取っつきにくいという難点はあったものの、やりたいことができたという意味ではシステムもなかなか良くできていたんじゃないかと思うようになった。

その”あるゲーム”とは、2001年にニンテンドーゲームキューブ向けに発売された、任天堂の「ピクミン」だ。

世界観が全く異なるのでピンと来ないかもしれないが、以前に書いた「ドラゴンズ・アース」の説明を読み返してもらえば、ポインタ操作、個別の部隊への指示、地形の建築や巨大な敵に無常にやられるか弱いプレイヤーキャラ達と、ほぼピクミンのゲームシステムの説明をしていることが分かると思う。

しかも、当時実現できなかった”グルっと囲ってチームを選択”といった操作も、「ピクミン」ではニンテンドー64以降で採用されていたアナログスティックの活用により実現されるなど、操作性も格段に分かりやすくなっていた。

もちろん、発売時期からしても「ピクミン」の開発者が「ドラゴン~」を参考にしたとは考えられないし、僕に当時同じ性能のゲーム機が与えられたとしても、これほど親しみやすくヒットした内容で作れたとは全く思えないから、単なる嫉妬でしかない。

ただ、コンセプトとして、あの”マリオの生みの親”宮本茂氏に少しでも近づけていたのかもしれないと思うことで、楽しくもしんどいことの多いゲームの仕事を続けていく上での励みになったというだけだ。

さて、学生プロジェクトはその役目を終え、チームは解散してメンバーもそれぞれ、次の作品の開発に着手していた。

会社では組織改編が行われ、これまでプロジェクト単位だった編成がプログラム、デザインといったセクションで区切られるようになり、初めてプランナー専任の部署となる「企画課」が発足された。

「企画課」には、僕やK太君の他、後に採用された新人や中途採用のメンバーも加わり、賑わいを見せるようになる。

新しく仲間になるプランナーの中には、福本伸行の漫画に出てくるようなやさぐれた風貌ながら、社内政治をクレバーに立ち回り、後に「クロックタワー」という傑作ホラーゲームを手掛けた”K野君”や、会社の人気タイトルだった「ファイヤープロレスリング」シリーズにストーリーモードを盛り込み、主人公が自●するという衝撃的なラストシーンでその後の作風を決定づけたパンクで熱い男”Gイチさん”など、名物キャラも目白押しの思い出深い職場となった。

また、K太君にしても「小中学生の間でトイレの花子さんが流行っているらしい」という噂から、当の女子中学生を集めてグループインタビューを敢行し、後に「トワイライトシンドローム」という、今では定番となった”怪談モノ”の走りとなるようなゲームを生み出すことになっていく。

そして、僕自身も会社の人気タイトル「フォーメーションサッカー」シリーズの続編を手掛けたり、アニメーション制作会社”プロダクションI.G”の元スタッフと共同で、豪華声優陣の起用を始め、後に「ガンダムSEED」のキャラクターデザインを手掛ける”H井氏”を招いて、いわゆる”ギャルベンチャー”を作ったりするのだが、それはまた別の話。

これらの人間模様とゲームの話は、そのうちまた機会があれば書くとして、ひとまずは筆を置こうと思う。

じゃない方ゲー人による、平成ゲーム業界回顧録 #商用ゲームデビュー編

~完~


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