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失敗させてクレメンス


少し前、支柱に巻き付いたエアーポテトの蔓を解いて、ビニールハウスの骨組みに巻き直した。
この後にネキリムシ対策として、輪切りにしたペットボトルを苗の根本に装着した。これはフォロワーからいただいた案を採用したものだ。

この骨組みは今は亡き祖父母が農業を行わなくなってからしばらく使われていない。自分が生まれる前からあったのだろう。今はただただ、そこにあるだけの遺物。
特にここ2〜30年は受け継がれてきた土地を使った不動産経営による収入がほとんどで、祖父母もかなり小規模の家庭菜園と数枚の水田の管理に留めていたような記憶がある。今では家族の誰も『農業』を行なっていない。水田の管理も収穫も業者に任せている。
かつては自宅から駅までの◯◯キロという距離を歩いても、ほとんど私有地だけを通って辿り着けた程の大地主一族だったと聞くが、今ほど土地の価値は高いものではなかったため、農業をしてなんとか家族を養っていたらしい。



自分には、祖父母を含む先祖の意思や思い出である農業を継ぐというほどの気合いも気概も無く、「農にお金を払いたくない」という理由でそこにあるものをいつも利用させてもらっている。
自分は幼い頃から、農業とその歴史を祖父母の買った本や言伝や背中で学んでいた。作物が一つ実る事の尊さも身に染みている。
その上で今は農業をナメて家庭菜園(と呼ぶほどの規模も無いそれ)を行なって、「野菜を育てる事に一銭も使いたくない」とほざいている。家に遺されている物だけを使って栽培をしようとしている。餌虫繁殖も兼ねているので農薬を使うつもりもない。

なぜにそんな態度で栽培に臨んでいるかと言えば、「失敗したい」「苦労したい」「苦労した末に身を結ばない経験をしたい」という理由によるものなのだと思う。
使える物が少ない栽培を経験する事で、今以上にスーパーで売られている野菜一つ一つや生産者に敬意を払いたいし、文明の利器である農器具や農薬の構造や効能、その仕組みを理解した時の感動を増幅させたいからなのだと思う。研究の歴史にも感動したい。
何度かこういった話をしているが、先人の知恵や努力の理由を知れた時の『アハ体験』が目的となっている。

ホームセンターに訪れた際、最も楽しめる場所はペットコーナーではなく、今も昔も農業用品売り場だった。いくつかの目的のために最適化されたそれらを眺めて想像する事が好きだったし、飼育観察にも何か活かせないかと考え続けていた。
そういえば、物心がついたばかりの頃に大きな農業車が並ぶ展示会に連れて行ってもらった事もあったと、たった今思い出した。



昨年貰ったサトイモの残りから芽生えた苗も少しずつ増えてきたので新たに植えた。
タダで始めた趣味なので、失敗を恐れず、むしろ失敗をするために何も調べずに植えている。今後、改めて最適化されたセオリーを知った時の感動を増幅させるべく。
お金をかけて本気で調べて臨んで辿り着く失敗こそ、最も成長曲線が高いものなのだと思われるが、自分はお金をかけてしまったら始めから本気で「失敗しないように」と動いてしまうだろう。そうなると自分が体験したい事と趣旨がズレてしまう。

祖母が作ったサトイモ畑の光景はすでにセピア色となっているが、これとは比べ物にならないほどに立派なものだった。

あの光景がどれだけ尊いものだったか、サトイモの栽培がどうやって最適化されてきたか。
それを知るために、今年いっぱいはあまり情報を仕入れずに自分の頭に浮かぶアイデアだけで管理して、翌年に答え合わせの情報を漁りに漁りたい。


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