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ふみサロ6月課題≪記憶する体≫を読んで

2022年6月からエッセイ塾、ふみサロに参加しています。
早いもので、2年目になりました。
2年生ですね。

毎月課題本から得たインスピレーションをもとに800字程度のエッセイを書き、参加者同士で講評する。SNSで発信するまでが課題。
8月から、SNSに投稿してから合評会となりました。

以下がエッセイ


空白の時間が教えてくれたこと

音楽の道に進むと決めたのが遅かった為か、ようやく先生と心が通じ合い、勉強のコツも分かりかけ、オーケストラとの協演のチャンスをつかんだ頃、息子を妊娠していることが分かった。

ちょうど20年前のことだ。

妊娠が分かった時は、正直、
どうしよう・・・と、戸惑った。これから!なのに、、、音楽人生はこれで終わりだと、オーケストラとの協演は、最後の舞台のつもりで臨んだ。

出産後、合唱の伴奏などの活動は続けていたが、夫の転勤や娘の出産を経て、実家に置いてあったピアノを自宅に運び込めたとき、最後の舞台から5年が経っていた。

失った5年分を早く取り戻さなければと、焦った。想像はしていたけれど、指が動かない。動かない指を無理矢理動かそうとすると、腱鞘炎になりそうで怖い。小学生のころ練習した教本からやり直した。子どもが幼稚園に行っている限られた時間で、“焦りは禁物”と念じながら練習した。

ピアノ教室を始めて、自宅で定期的にサロンをスタートさせた。お客さんに聴いていただく機会をつくることで、練習へのモチベーションを上げた。
少しずつ、少しずつ感覚を取り戻し、息子が小6の2015年、なんとかリサイタルを開催することが出来た。

その頃も、昔のようには弾けないと思っていたが、意外なことに、楽々と音を掴んでいる感覚があった。家事がほどよく筋トレになっていたのだろうか? 結婚当初、重すぎて使いたくなかった鍋が、いつの間にか片手で持ち上げられるようになっていた。指先に体重をかけるときに、腕全体の重みも活かせるようになって、今までになかった感覚で、楽に音が掴めるようになっていたのだ。

ピアノを再開するまでの5年は、空白で、失われた5年と思っていたが、良いことも、嫌なこともたくさん経験し、自分の中の様々な感情を知ることが出来た。そして求める音色のイメージも広がったように感じる。だから昔に戻ろうとしなくても良いのだ。焦って練習していた頃の私に教えてあげたい。

                おわり


今回も最後の最後まで、何を書いたら良いのか分からず、悩みました。

一般的には障がいをネガティブなものとしてとらえて、障がいをなくすこと、以前の身体のように動かすことを良しとするものだと考えられがちですが、この本のエピソードに登場する方々は、障がいと共に過ごした時間があるからこそ、今のアイデンティティになっている、痛みを取り除くだけでなく、痛みと共に生きる術を獲得するなど、無理矢理以前の姿に戻ろうとしていないところに注目しました。


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