夢と現実とおっぱいの谷間で

世界は言葉で溢れている。
森羅万象の悩みの種は言葉によって芽生え、
言葉によって洗い流される。
言葉との出会いがあらゆる現実の発端である。

『言葉の本気を引き出した』と言われる
「四畳半神話大系」という、
私が愛してやまない大傑作小説がある。
そんな物語に出会った5年前から
私の脳裏にこびりついて
しぶとく消化しきれない言葉がある。

どんな選択をしても納得した結果を出せない
主人公に向けて「師匠」と呼ばれる男が
投げつけた言葉である。


可能性という言葉を無限定に使ってはいけない。
君はバニーガールになれるか?
必殺技で世界を救うヒーローになれるか?
なれるかもしれん。

しかし、ありもしないものに目を奪われては
どうすることもできない。
自分の他の可能性というどうにもならないことに
望みを託すことが、諸悪の根源である。
今ここにいる自分以外、他の何者にもなれない
「自分」を認めなくてはいけない。

君が有意義な学生生活を送れるわけがない。
私が保証するからどっしり構えておれ。
薔薇色のキャンパスライフなど存在しない。
世の中は薔薇色ではなく雑多な色をしている。
森見登美彦「四畳半神話大系」

我々の「今」を決定しているものは
我々が持つ不可能性である。

前途ある子どもたちの「将来」を背負っている
塾の先生がこんなことを言うのは憚られる。
しかし誰しも、心当たりはあるはずだ。

私は中学生までプロレスラーになりたかった。
しかし私は160cmしかない。
プロレスラーになり、職業にして生きるには
180cmないと書類選考で落とされてしまうのだ。
ネットで「身長を伸ばす方法」を
毎日のように検索して実践した。
それでも現実は変わらなかった。

不可能性がこしらえたレールを歩く途中、
つい、そのレールから脇見をしてしまう。
どこかで自分の可能性を捨てきれない私がいる。
「この生き方は正解か?」
「もっと違う人生があるぞ」
こんな心の声が聞こえると、
今いるレールを進む速度はその分遅くなる。

なんなら脇見したおかげで壁にぶつかってしまう。
今週もまた壁にぶつかり、動けなくなった。

無性にでんじゃらすじーさんが読みたくなった。
大人がレジに持って行くのは恥ずかしかったが、
ブックオフでじーさんのコミックスを買った。
子どものギャグ漫画の王道だが、
時々とんでもない感動回をブッ込まれる。

『どっちみちおっぱい』という回を読んだ。
夢を追う道、現実に生きる道、
どちらかで人生をやり直せる分かれ道、
この分かれ道に1人の老人が立つところから始まる。
その老人は、夢だけを追い求め、いじめられて、
何者にもなれなかった相撲取りである。
彼は夢を諦めてフツーの人生を過ごそうとする。
「本当の大人は夢を見ない。
夢は、子どものためのものだ」
そう言った。

それを聞いたじーさんのペットのゲベは言った。
「フツーに生きるだけでとんでもなく立派だぜ。
夢と現実、どっちが正しいかは知らん」
その言葉に続けるようにじーさんは言う。
「正しい選択よりも、大事なことがある」と。

どんな選択をしてもおっぱいを張って歩くこと

私に必要だったのはこの言葉だった。
このタイミングで、でんじゃらすじーさんを
読みたくなったのは、過去の私が今の私に
何かエールを送ってくれたのかもしれない。

現実の中で肥大化した羞恥心と共に、
頭を抱えながら生きている私。
それでも夢を見たいと声高に叫ぶ愚かな私。
どちらの私も、本当は最高なのかもしれない。

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