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自分で決められない人は責任を避けている

何人かで集まって話していた時に「自己決定」の話になった。

世の中には、自分で決められる・決めたい人もいれば、自分で決められない・誰かに決めて欲しい人もいる。

決めると言っても様々あり、今日着る服のような軽いものから、恋人と結婚するかしないかという重いものまである。
(僕が「結婚の意思決定支援」の仕事を5年程前に始めて最初に驚いたのは「結婚相手を自分以外の誰かに決めて欲しい」と考える人が想像を超える多さで存在していることだった)

もちろん「自分で決めたいこと」には個人差があって、例えば

「毎日の着る服は自分で決めたいけど、今の恋人と結婚するかしないかは友達に決めて欲しい」

「毎日着る服は誰かに決めて欲しいけど、結婚相手は自分で決めたい」

みたいなバラツキやグラデーションがある。

ただ大まかな傾向として、世の中には
「自分で決められる寄りの人」
「自分で決められない寄りの人」
の2つの人種がいるように思う。

仮にそうだとすると、1つの疑問が湧く。それは
「この2つの関係は、並列か、上下か」
というものだ。

関係が並列だとすれば、カレーが好きかラーメンが好きかという程度の「個性」の話になる。これは個性なので、どちらの人も幸福に暮らせる社会を目指すのが良いはずだ。

一方で上下だとすれば、どちらかが未熟な姿勢で、どちらかが成熟した姿勢ということになる。とすると、例えば教育によってどちらかへの変化を促すことが大切かもしれない。

決められる人と、決められない人。

この2つは並列の個性でしょうか?
それとも上下の成熟未成熟の関係?

ちなみに僕はこれを上下の関係と捉えており
「自分で決められるけど、誰かに決定を委ねることもできる人」
が成熟した大人であると考えています。
決定は責任とセットなので、自己決定できない人は責任を避けているように見えてしまうのです。

この件、みなさんはどう思いますか?

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