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#89 「お前は死ぬな」信念込めた一喝で正解のない会議が収まった

いろいろな組織に所属していますと、会議がありますよね。私達、報道機関においてもいろいろプロジェクトを始動させるときですとか、番組の内容に関してなど、会議を開きます。

その会議自体は私はとても重要だと思っています。やはり話し合いの場で生まれる企画ありますし、逆に言うと、話し合った結果リスクがあることがわかり、その企画をキャンセルする場合もあります。ただ、個別の会議を指しているわけではないのですが、概ね自分の経験則でいうと、半分以上の会議は本来の半分以下の時間で終わるのではないかと思っています。

あるプロジェクトが走り出したことがありました。すこし上の立場の人のアイディアだったのですが、正直言うと私自身は「これ本当にそんなにうまくいくのかな」と内心思っていたものの、プロジェクトの一人として参加することになってしまい、他の部署からも多くの方が参加したのですが、どうも本音ベースで社内で話を聞いたりしていると「いやいや、これ似たようなことを昔やって失敗したから」という声がありました。

私自身も「これ、どうなんだろう」と思いながら、コロナ禍真っ只中だったので、Zoomオンライン会議で参加したものの、私自身は、実をいうとほぼ発言はしませんでした。というのも、失敗するのがなんとなく目に見えている上に、みんなモヤモヤしたものを抱えながら会議に参加していたので、何でこのまま推し進めていく必要があるのだろう、と思っていたのです。

結論から言うとそのプロジェクトは一つの形になり、走り出すことになるのですが、蓋を開けてみれば、一ヶ月ももたずして、大した盛り上がりを見せることもなく自然消滅しました。

総括されていないから失敗が繰り返される

一つ大事なことはこのプロジェクトに対する後始末がされていないということです。結局どうだったのか。駄目だった理由は何だったのか。そういった総括がなされていない。何年も昔に同じようなことをやり、今回繰り返したのは、そのときも総括がされていないから、その失敗がなんとなく話として引き継がれていただけで、肝心のトップの人が知らなかった

ここに大きな問題があると思うんですね。

だから、どのような形であれ、会議でまとまった内容、そしてそれが走り出した場合、結果的にどうなったのかということは、定期的に半年なり一年なり、そのプロジェクトが終わったときに総括する必要があるのではないか、と考えています。

半数ぐらいの人がモヤモヤを抱えたままそのプロジェクトは走り出していたのですが、結局、私も含めてそれを言える空気ではなかった。そこが、まず根本的な問題であったとも思います。もし、一人一人がきちんと声を上げることができれば、無駄な時間を過ごすことなく、本来の業務に当たることもできたのではないでしょうか。

経験に裏打ちされた一言のもつ説得力

そしてもう一つ。僕がまだ二十代の頃行った取材に対して、会議が開かれたことがありました。その取材は、九州で大規模な土砂災害が発生し、集落が飲み込まれて、かなりの数の死傷者が出た災害の取材でした。私が着いたときはまだ雨が降っていたものの、翌日は台風一過で、晴れたんですね。

そして、その土砂崩れの現場、起点となっているところ、山が崩れ始めたところはどうなっているのだろうか、とディレクターと話し合い、それを見に行こう、となりました。その判断基準としては、警察と消防が、行方不明者がこれ以上ないかどうか、山を登っていくことにしたので、その後をついていくことにしたわけです。結果的に撮れた映像としては、その山の上で、山肌がまるで巨大なスコップでえぐられたかのような、大規模な土砂崩れの発生した当時の様子でした。それをオンエアに出した後、社内でちょっとした話し合いが持たれたと後になってきました。

あの取材はあまりにも危険すぎたのではないか、と。

二次災害、さらなる土砂崩れが発生する可能性があったのではないか、もし発生していたらすぐ近くまでいっていた、森下を含め取材クルーは死んでいたのではないか、と。そんな話が出たそうです。私にも現場に電話がいっぱいかかってきました。
「あれはどういう基準で行ったんだ」
「どういう判断だったんだ」
「誰が言い出したんだ」

もちろん本当のところを全て話したのですが、会議にかけられ、その結末を、お台場の本社に戻ってから聞きました。

結局のところ、その会議に参加していた報道の責任者のうちの一人が
「現場のことは現場でしかわからない。現場にいる人間が安全だ、と判断したのだから、これは遠く離れた私達が口を出すものではない」
と発言し、その一言で、会議はおさまったそうです。
なぜ、その言葉に説得力があったかというと、その言葉を発したその方自身も数々の修羅場をくぐり抜けてきていたのです。おそらく同じようなことがたくさんあったのだと思います。東京からああだこうだ、いろいろ言われる、冷静な目でいろんいろな意見を言われる。冷静な第三者の目で教えてもらう、それはとても重要なことなのですが、一方で現場にしかわからないこともあります。

カメラは一方向の映像しか捉えていません。しかし現場にいる私達は、周囲、全体を見回しています。なので、当然、東京にいる人間と、現場にいる人間で判断がわかれるということは多々あります。

ただし、このことに関しましては私自身も大いなる反省があります。
その後、会議で一喝した責任者の人と東京でゆっくり話すことがありました。

私とディレクターは消防と警察が言ったから大丈夫だろう、と判断したのですが「それは駄目だ」と。1991年の6月、雲仙・普賢岳の噴火で火砕流が発生して、報道関係者を含む43人が犠牲になりました。このとき、この中には警察、消防団員もいました。多くの人がいると、なぜか安全安心だと人は思いがちなんです。この例を引き合いに出して、そこに、警察や消防、自衛隊がいるから安心安全だとは思うなと。きちんとお前の頭で考えて判断しろ、と、そう言われました。そして
「マイクを持ったお前が走っていけば、その後ろにカメラや音声さんはついていかざるを得ない。だから、お前がクルー全員の命を預かっている。その覚悟を持って取材に当たれ。そして死ぬな。俺はお前の葬式で香典は出さないからな」
そんなことを言われまして、これがもう二十年近く前でが、この言葉を胸に刻んで、今も取材に当たっています。

少し「会議」のテーマからそれましたが、会議というものは結局のところ、もしそこに対する違和感やモヤモヤがあったらきちんと言える空気を作ること、そしてそれで走り出したプロジェクトが成功しようと失敗しようと、ともにきちんと総括すること。

そして会議の中で、自分自身が発言する際、その発言に対する根拠として、自身の経験に基づくもの、これはかなり説得力があるのです。なのでそのような場合は、臆せずきちんと発言する。これは今後の自分にも改めて言い聞かせたいことですが。

(voicy 2022年10月14日配信)

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