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私とピノコと国立成育医療研究センター

めちゃめちゃ久しぶりにnoteを書こうと思ったのは、あるツイートを目にしたからだった。

子供のころ手術を受け、ずっとお世話になった国立成育医療研究センターが、感染防止の物資が足らず経営も逼迫していると助けを求めていた。


私自身、過ごしたのは短い間だったが、今でも自分の人生に大きな影響を与えた場所なので、寄付のお願いとともにここで過ごした思い出を書いてみる。

なるべく調べながら正確に書くようを心がけたけど、ベースが子どものころの記憶なので、間違いがあったらごめんなさい。

ピノコ、あるいは髪と歯と腸


国立成育医療研究センターは妊娠から思春期までの、成長期の子どもたちのための研究・医療機関で、日本に6つしかない国立高度専門医療センターの一つである。


7歳のころ、私は異様にお腹の膨らんだ子どもだった。飢餓状態の人のような、ぽこっとしたお腹の膨らみ。

心配した両親に連れて行かれた総合病院での診断結果は「腫瘍あり・即手術」だった。推薦状を書いてもらった先が、国立成育医療研究センターの前身である国立小児病院だった。

いくつかの検査の後、手術で取り出されたのは、数キログラムもある腫瘍だった。


髪と歯と腸入りの。


執刀医が両手で抱えて見せてくれた立派なそいつに、両親は卒倒しそうになったらしい。私も何故かモノクロ写真で見せられたが、カラーじゃなくてマジでよかったと思うようなパンチの効き方だった。

私が診断されたのは「奇形腫」という病気だった。

腫瘍に髪や歯、腸ときには指や脳が内包されていることが特徴の病気だと言えば、腫瘍を組み立てて生まれた『ブラックジャック』のピノコを思い浮かべる人も多いかもしれない。

まだ『ブラックジャック』を読んだことがなかった私もピノコの存在を知り、あの髪や歯や腸も、本当は人間になれたのかなと自分の中にいたピノコもどきを想った。

(奇形腫がなぜ発生するのかはまだはっきり判明していないし、奇形腫から人間が作れることももちろん現実ではありえません。ブラックジャックに出てくるのはあくまで奇形腫をモチーフにした架空の病気です。)

ちなみに卵巣腫瘍にこうした髪や歯があるという事例は決してレアケースではない。

ここにあるように全卵巣腫瘍の15~25%を占めるケースらしい。しかし、私の場合は年齢のわりにこの大きさはめずらしいとかなんかそんな理由で、ホルマリン漬けの標本としてどこかの病院にまだあると聞いた。人生初の寄付が自分の卵巣だとは思わなかった。


その1年後、肝臓の一部にも腫瘍ができていたことがわかりまた手術した。もう慣れたものだった。肝臓は切ってもすぐ元に戻るので、子宮や残りの卵巣じゃなくてラッキーくらい考えていた。

ぱっと見めちゃくちゃ健康そうな今の私の身体には、卵巣が片方なくて、肝臓を切ったことがあって、お腹にピノコみたいのがいたことなんて傷を見せて話さない限り誰も知らない。

陽気な友だちも、薄っぺらに見える知り合いも、私が知らないだけでいろんなものを抱えて、いろんなものを無くしているかもしれない。

誰かを「よく知っている」と慢心する危うさについて考える時、私はあのモノクロ写真で見たピノコもどきを思い出す。


自分の話が長くなったが、そんな私が入院し、退院後も腫瘍が再発しないか経過確認のため定期的に通っていたのが国立小児病院と、その後身である国立成育医療研究センターだった。


ドーナッツの輪、あるいはCT


小学生だった私は、国立成育医療研究センターの雰囲気が好きだった。

国立小児は古くてどんよりとした古い病院だったが、ここはとにかく明るくて、楽しいのだ。

例えば、体を輪切りにした状態で撮影する検査であるCTは、大きなドーナッツだった。

放射線診療部_国立成育医療研究センター

国立成育医療研究センター公式サイトよりスクリーンショット

検査自体は面倒だったが、このドーナッツの中に入るのはやっぱり少しワクワクした。

壁際にはピラゴラスイッチのような仕掛けや、汽車の形のベンチなど、子どもができるだけ不安を感じさせない工夫がいたるところにあった。

それは、この病院が子ども時代の全部という子や、ここで一生を終える子どもたちがいるからだ。


成育医療センターの駐車場では、日本全国のナンバープレートが見られる。

ここでしか治療できない、難病を抱えた子どもたちとその親が、最後の望みをかけてやってくる。

私自身が入院していたのは前身の国立小児だったが、そこも成育医療センターと同じ役割を果たしていたので、病棟にはいろんな病気の子がいた。

白血病をはじめとする小児がんや心臓疾患、消化器疾患、私のようなあんまり知られてない病気の子も。年齢も幼児から高校生くらいまでバラバラだった。無菌室の中にいる子や、ずっと院内学級しか行ったことがない子もいた。

でも、大人の病棟のような暗さはなかったと思う。なぜなら、病院や病気は自分たちの生活そのものだったから。あっというまに病気に慣れてしまうのだ。点滴のスタンドを引きずりながら、鬼ごっこをしたり、「今日はここの血管が良さそう!」と採血の看護師さんに得意げに腕を見せたり。

何度も先生が説明してくれるおかげで、自分の病気や病状についてもしっかりわかっている子が多かった。それも必要以上に悲観的だったり過剰だったりせず、「検査の結果でこれ以上の数値なら退院できる」みたいな客観的に話せるような。

まだ理科の授業すら始まってなかった年齢の私にも、病気にまつわる言葉や知識は当たり前に染み付いていった。

「ルートをとる」は点滴のために腕に針を通すこと。

「ぞうえいざい」はCT検査ではっきりお腹の中を見るための薬のこと(グレープフルーツジュースに混ぜてのむやつと注射のやつがある)。

「アルファーフェトプロテイン」の数値が血液検査で高かったら腫瘍があるのでまた手術しなきゃいけないこと。

etc...

全身麻酔の手術についても、怖いとか不安もあったが「受けないと命に関わるからしょうがないよね」みたいな割り切り方だった。


この落ち着きの底には、病院の人たちが絶対に直してくれる、という希望もあったと思う。

ここの先生たちはみんなすごいんだって。だからきっと大丈夫。

病院のいたるところにある子ども向けのデコレーションや遊び場は、「ここは君たちの病院だよ。だから安心していいよ」というメッセージでもあった。

ここは子どものための病院。先生も看護師さんも、売店のおばちゃんも、みんな私たちが治るために頑張ってくれていて、元気になることを願ってくれている。そう信じられる場所だった。

大部屋で一緒だった2歳のこうちゃんは、私が2回目の手術から退院して数ヶ月後になくなった。

2回の入院生活は正味あわせて1ヶ月ちょっと。短い間だったが、最新の医療も祈りも通じない命もあると知った。

N95マスク、あるいは祈り


一方私は、今も経過観察の検査も別の病院で受けてはいるものの、他には大きな病気もかからず大人になった。生き残った卵巣の片割れも元気に生理を運営してくれている。

29歳になろうとしている自分の人生にとって、あの病院で過ごした時間は少しの割合でしかない。

それでも、ほんの小さな内臓の具合ひとつで簡単に命は消えてしまい、その命を守るために懸命に働く人たちがいることを教えてもらったあの時間は、今も私の心に小さな錨を下ろしている。


現在、国立成育医療研究センターではN95マスクと防護服が不足しており、寄付を求めている。免疫が弱い子も、呼吸器に病気を抱えている子もたくさんいるはずのあの病院で。

さらに、いま治療が必要な患者さんを守るための対応で、経営も逼迫しているとして寄付金も呼びかけている。

マジで政府なにやってんの…と怒りというか虚しさすら感じてしまうけれど、この病院で手術や検査ができなくなることは、小児医療の最後の砦が崩れることを意味する。

我が子が次の誕生日を迎えられるかすらわからない親御さんに、これ以上の心配事を増やしたくない。子どもたちにはコロナのことなんか気にせずにすごしてほしい。医療従事者の方々だってそう。

病気の世界では、どんなに手を尽くして祈っても届かないことがある。だけど、だからこそ、こんなことであの病院の人々が困って欲しくない。

そういうわけで、自分でも微力だが寄付し、こうして一人でも多くの人に寄付してもらうために記事を書いた。

一口1000円から、クレジットカードでもできます。

N95マスクと防護服は未開封未使用に限り受け付けているそうです。

かつてこの病院に助けてもらった子どものひとりとして、勝手ながら少しでも恩返しができれば。


人の金で食う焼き肉の味ってものを知りたいので何卒施しのほどよろしくお願いします!