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彼がミスした時「これだから障害者は、」って、キレた自分がいた。

就労移行支援事業所
そこは主に精神障害者の為の職業訓練所。
今日のような穏やかな晴れの日だった。
数年前、毎日のように同じ箇所を笑ってミスする青年に、わたしは心の中でキレた。

『これだから、○○(障害名)はミスが多いんだよ』
自分の皮肉な心の声を一生懸命かき消したが、そう思ってしまった事自体に嘘を付いてないことも確信していた。
みっともなかった、自分が。
ミスをする人なんて、その障害を持ってなくてもいるだろうに。

そう、わたしは、彼を差別したんだ。

彼の病名(障害)を”たまたま”知ってたから、都合よく結びつけた。

この世界の同じ障害を持つ方に心で謝った。

数年後の2020年、同じ感覚を味わう。

SNSでプロフィールに病名を公開してる人から、わたしにとって心地よくない言葉を投げかけてきた人がいた。
同じだ。
「そんな風に言う『だから○○(病名)は、なめられるんだよ』」

また、出来事と病名(障害名)を結びつけていた。

わたしは、怖い。

わたしが決めつけたように、
決めつけられてしまう可能性があることを

わたしは、統合失調症である以前に、人間でありたい。わたしでありたい。

だから統合失調症は…
だから統合失調症は…
わたしは、わたしだ。この文章も統合失調症が書いてるじゃなくて、わたしが書いてる。

そう、わたしたちはプロフィールや、名前、詳細に病名(障害)を記入するだけで

わたしたちがなにかを発した時、その病名のイメージに簡単に結びつきやすいのである。
障害者が事件を起こすと、そうイメージさせる報道が終わらないのは、
簡単にイメージで結びつけられるから来てるのではないかと思っている。

だから、
統合失調症と病名を表記してる、わたしや、みんなのひと言が、この世界の統合失調症の方のみんなのイメージ繋がっていると、わたしは思ってる。

でも、過去や全てに責任を取れと、言ったり。言われたくない。全てなんて取れない。
だからこそ、わたしは、今と、これからの在り方に、なるべく、病名を表記してるうちは自分の尽くす限り恥ずかしくないようにしたい。
同じ病気の人の為にも…


世界統合失調症デーという、反差別運動が年に1回ある。

わたしは、思う。

イベント的な運動より、日常的な習慣が、より、社会の偏見を変えるのではないかと、
もちろん、○○デーのように意識するひっかけも大事だけど、
わたしたち自身が、日頃から、今の自分の在り方を確かめていれれば、
世界じゃなくても、せめて自分の机の上の消しゴムのカスぐらい捨てられて、
小さくとも、散らかってるより、心地いい空間を作れるのではないか。

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