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書き初め

45歳を過ぎ、今一度自分の人生を振り返る。
昭和50年にこの世に生まれたが、どんな時代だったんだろう。
当然、記憶もないから想像でしかない。高度経済成長と呼ばれた時代が終焉を迎えたが、それなりにみんながそこそこ裕福で、穏やかな時代であったのではないか。

公務員の父親と専業主婦の母親(内職してた)との間に生まれた自分は、それほど苦しい思いもせずすくすくと育った・・・のだろう。
幼い頃の記憶といえば、ガッチャマンの火の鳥というおもちゃが小さいと祖父に文句を言って取り替えに行かせたことと、全く知らない男の子を幼馴染と間違えて大声で名前を呼んでしまって、穴があったら入りたいくらい恥ずかしい思いをしたことくらいだ。

地元の公立保育所、幼稚園、小学校、中学校と進み、公立高校へ進学した。どちらかというと内気。内弁慶というのか、外ではおとなしかったらしい。さらに気が小さくてよく泣いてたらしい。そのわりに、学級委員をほぼ毎年任命された。特に高校では3年間同じクラスということもあって役員改変すら行われず、女子からは「委員長」と呼ばれるのが常で、名前を呼んでもらいたい欲望との闘いだったのを覚えている。
ちなみに、母校である小学校、中学校は統廃合によりその存在はもうない。

高校では普通科ではあるが英語を特に専攻するコースに進み、国内及び海外の外国語研修にも出かけた。特にカナダで実施したホームステイは今でも鮮明に記憶している。
人生初の海外の旅。飛行機に乗ることさえ初めてだ。あんな鉄の塊が空を飛ぶなんて。無事着陸したときはクラス全員で拍手した。今思うとわりと恥ずかしい。
バンクーバー国際空港からバンクーバー島に移動。ナナイモという街で3週間過ごした。次々とホストファミリーが迎えに来てくれて、一人ずつ連れされられいく光景は、不安と・・・不安の入り交じる、、、、不安しかない、強烈なものだった。

長くなるので、カナダ奮闘記は次回。


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