酩酊奇譚ー現実化するオトナ帝国ー

キリストが最初に起こした奇跡は水をワインに変えたことだとされています。宗教に馴染みのないわれわれ日本人からすると、何を馬鹿なと冷笑したくなる寓話にすぎないかもしれませんが、しかしこれは酒が人類史と切っても切れない間柄にあるという証左であります。

私もまぎれもない酒飲みでありまして、繁華街を往来しては赤提灯から赤提灯へ、宿木を探す小鳥のようにふらふらと渡り歩くのを常としています。安居酒屋の闊達な雰囲気を愛し、重厚な扉であらゆるものを拒絶するようにみせて一転柔和に包み込んでくれるバーを愛します。華金なんてものはなく、日々是飲酒がモットーでもあります。ですから、この文章の目的は、いわば酩酊の言い訳、痛飲を正当化し誤魔化すためであります。しばしお時間をとらせますが、酔っ払いにお付き合いいただければと思います。

さてなぜわれわれは酒(=摂取するとまともな意思疎通もできなくなる毒物のようなもの)を断ち切れないのでしょうか。まずとりあえず多くの人が想起するであろう、酒を飲む意味なんてものを羅列していきましょう。

・たんに酒の味が好きである。
・料理とのマリアージュを楽しんでいる。
・飲酒の場(他者と一定時間以上のコミュニケーションを図れる機会)を欲している。
・辛い出来事を忘れるため。

ざっとこんなところでありましょうか。しかしながら私はもっと根源的な理由があるとふんでいます。

漫画・アニメが大変な人気を誇っている「クレヨンしんちゃん」において、「オトナ帝国の逆襲」という映画があります。私はこの映画から発せられたあるメッセージに、飲酒文化が脈々と続いてきた理由が垣間見られると思っています。ご存知の方も多いとは思いますが、おおまかにあらすじを説明しますと、次のようなものです。

未就学児の男の子しんちゃんの暮らす埼玉県春日部市に昭和をモチーフにしたテーマパークがオープンします。しんちゃんの両親をはじめ、しんちゃんの世界では生産年齢にある人(=オトナ)は凡そ昭和以前の生まれで、そのテーマパークは連日人が押し寄せるほどの大人気となりました。しかしそれは敵組織「イエスタデイワンスモア」が仕組んだもので、日本全体をノスタルジーあふれる古き良き昭和に退行させようとする策略なのであります。見事、手玉にとられたオトナは子どもたちを捨ててテーマパークへの向かってしまいます。一方で、昭和になんの郷愁もないしんちゃん世代はオトナを正気に戻すべく、組織に戦いを挑むのでありました…。

以上のようなものでありまして、「イエスタデイワンスモア」という組織名からもわかるようにギャグ要素を多分に含んだ映画だということがおわかりいただけるでしょうが、まあこれが意外と泣ける感動モノなのであります(ホラーでもありますが)。

しかしながら、この映画におけるノスタルジーこそ、われわれが愛すべき酒に該当するのだというのが私の主張であります。

われわれは随分、お行儀よくなりました。だれかれ構わず使っていたタメ口も敬語になり、電車では黙って座っていられ、多少苦手な食べ物も文句を言わず食べることができます。もしこれらを放擲してしまっては、あの人は子どもっぽいね、なんて揶揄されることもあるでしょう。仕事も多くの人にとっては生きるためにこなすものであり、それが辛くても我慢して働きます。もしかしたら小洒落たよくわからない横文字まで使ってデキル社会人感さえ漂わせているかもしれません。

しかし、われわれには決して捨てきれぬ、ある憧憬があります。まさにオトナ帝国におけるノスタルジーなのであります。理性を獲得したわれわれは、平静ではもはやチンコやウンコでゲラゲラ笑い転げたりしません。会議室の出入り口に黒板消しを挟んでワクワクしながら部長の登場を待ってもおもしろくありません。でもテーマパークに通い勤しんだオトナと同じく、「バカ」になりたいのであります。

酒場でチンコはキラーワードであります。手を叩いて笑わぬものはありません。素面だとつまらない深夜のバラエティ番組だって、ひな壇にまでショーレースの優勝者が座ってるがごとく抱腹絶倒のタネになることでしょう。発言の前にあっあっと口ごもる小心者ですら、いちいち声をあげて笑い出します。

酒はわれわれの精神性をタイムスリップさせます。昼間にメガネをくいっと上げて、パソコンをカタカタする連中も例外なくであります。なんと対照的で滑稽なのでしょうか。しかしそれでいいのです。酔っ払えば、この文章だってエンターテイメントになります。なに?おもしろくない?それは酒が足りない証拠でありましょう。早くグラスを空けてください。

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