とん

自分を好きになるために奮闘している人です。よく鬱々としてしまう人です。暖かく見守ってく…

とん

自分を好きになるために奮闘している人です。よく鬱々としてしまう人です。暖かく見守ってくださると嬉しいです。

マガジン

  • 私と摂食障害、me with eating disorder

    2015年より罹患している摂食障害について書きます。 その発症、拒食期、治すことを決めた日、過食期、共存している現在について書きます。英語が好きなので、英文に変えたものもnoteか別のところにも載せようと思います。よろしくお願いします。 I've suffered from eating disorder since 2015. I'm going to write about the history.(ex: onset of illness, anorexia nervosa, when I decided to recover, bulimia and now) I will post English version soon here or in another platform since I like English. Thank you.

最近の記事

上手く食べられないことの下に埋まっている課題。

食べることというのは、栄養を補給するということだけでなく、自分の選択した物を食べるということを摂食障害になってから知った。 摂食障害というのは、食べることだけに問題があるのではなく、あらゆる自分の選択をどうしたら良いのかわからない表れでもあることを、治してきて知った。 漠然とした話。自分の”これがいい”と言う感覚を押し込めて、暫く他人の”これがいい”の元で体と心を動かしていると、自分の”いい”が、わからなくなってくる。その後、悔い改めて、他人の”いい”をシャットアウトできる

    • 私の頭は不健全。

      よく幼少期に寂しい思いをした人が、頭の中に想像の世界を作るというけれど、 そういう人たちの作る世界には、きっと自分自身が含まれていない。私の頭より健全な世界だと思う。 私の妄想する世界には、必ず自分が含まれていなければいけない。私は、認められたくて、褒められたくて、目立ちたくて、報われたいという病に侵されているから。頭の中に作る妄想は、認められてて、褒められて、目立ちたくて、報われている自分が必ずいなければいけない。 更に言うと、自身は含まれていないけれど、他人と他人が愛

      • あの人たちに認められたい。

        あの人たちに認められたい。 それは何でかわからない。 皆に、すごいって言われなかった。 だから、すごいって言わせたい。 私って、すごいのよ。 私って、おどろおどろしいのよ。 踊り狂って表現する。 皆は呆気に取られてる。 でも現実は、皆は私の目の前にさえ、歩いていない。

        • 牢屋の外にいるけど、何もしない自分を責める

          どういうふうに生きたらいいんだろうか。 本当は安定した生き方の方が私の心も体も楽になるだろうに、そちらに足が進まない。 安定した道が牢屋に入れられるような感覚がして、どうしても進む選択ができないのである。 なぜ、こんなに歩みが遅いのだろうか。 なぜ、何のボールも持てないのだろうか。 病気の状態でも、同時平行で何かの道を進んでいる人だっている。 私も、かつてそうだった。 今、私は、比較的健康になったのに、何もしようとしない。 何もしたいことがないなら、安定した牢屋に行っ

        上手く食べられないことの下に埋まっている課題。

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        • 私と摂食障害、me with eating disorder
          13本

        記事

          承認欲求

          「仕事をして、他人のために、何時間も使うと、自分に振り向いてくれない自分が叫び出して、承認欲求が出てくる。仕事の帰り道には、認められたいとか目立ちたいとか褒められたい気持ちで一杯になる。頭の中がハイになる。その溜まっている状態が嫌で言葉に落とすんだ。」と友達に言った。 すると、友達は、「承認欲求って悪いものなの?外に外に求めるっていうのは皆がしている普通のことじゃない?それに承認欲求がある人たちは、それをビジネスにもしている。でも、あなたは、中に中に掘り下げていくんだね。」

          承認欲求

          魔女宅が好きだ。

          先週の金曜ロードショー、魔女宅だった。 周りの友達は、もののけ姫が好きな人が多い。 でも私はなんだかそういう壮大な物語は好きになれなかった。 私はやっぱり魔女宅が好きだ。 ウルスラの台詞に”ある日絵が描けなくなった。それまでやってたことが誰かの真似だって気づいた。自分の絵を描かなきゃと思った。苦しいのは今も同じ。”というような内容の台詞がある。 私は絵ではないのだが、少し自分の病気の経験に重ねてしまう部分がある。 私は、19歳まで、何も考えずに生きてこれた。 それまでは

          魔女宅が好きだ。

          戦争が始まったら、どうしよう。

          ウクライナ侵攻から2年。侵攻辺りから、私は喉が攣っているような感覚がして、徐々に症状が変化しているが、今も治っていない。 ニュースを見ると、辛くなってしまう。 戦争の報道を見ると、自分が戦争に巻き込まれたら、どうするかを想像してしまう。 実際にどんな行動を取るか分からないが、私は、戦争が始まっても、どこにも逃げたくないような気がする。家族と一緒に最期まで過ごしたい。 ミサイルが近くに落ちて、その破片が家族に当たって、苦しんでいても、隣で、嘆いて、泣く。 その後、家族の心が体

          戦争が始まったら、どうしよう。

          書くことでサバイブした、ある日の話

          私にとって、死にたい気持ちがおさまる方法は書くこと、人に話すことである。この文章は、書くことが、死にたいという気持ちをおさめるのに、ある程度、効果的かもしれないという考えについて記す。 ※必ずしも全員に有効とは限りません。個人差があると思います。 ※精神疾患の専門家ではありません。元精神疾患患者です。 ある日の死にたい朝から元気になる夜までの一日 朝7:30  起きるとすぐに死にたい気持ちで溢れている。 →とりあえずの応急処置で、最低限の支度を済ませたら、本日1回目の心の

          書くことでサバイブした、ある日の話

          普段は泣いて不安で悩んで叫んでいることは長所になる?話。

          〜読んでいただく前に〜 私の摂食障害は多分、完治。しかし、自分を嫌いになりやすく、極に行きやすい自分を専門家から客観的に見てもらいたいという考えから、未だに定期的に通院をしている。(それで、クレイジー化するのを防ぐという魂胆である。) 精神科の担当医によると、”物事を前向きに捉えていそうな人ほど、万が一の危機が起こった時にポキッと自死してしまいやすい。一方で、悩みやすく、常にぐるぐるしている人ほど、危機が起こった時に意外としぶとく生きられる”らしい。 私の担当医は、精神科

          普段は泣いて不安で悩んで叫んでいることは長所になる?話。

          自分の夢

          夢ができました。親とか近所のおばさんとか(勿論、何かの先生でも可)形は何でも良いから誰かの良き先生になることです。 •他人が好きな物事を自分は信じていなくとも認めてあげたい。 •他人の夢は応援してあげたい。 •他人に教えていることが他人にとって面白く感じられるように話したい。 •他人が悩んでいる時は、すぐに解決策を探そうと焦るのではなく、向き合うこと。その場で答えがでなくてもいい。自分は、一緒に苦しみを生きることを拒否しないよということ、一緒に方法を考えるよと姿勢を見せるこ

          自分の夢

          助ける、助けられる、自分で立つ。

          一人の人が助けてほしい、辛いって時に限って、大体、その周りとタイミングが合わなくて、助けてもらえないし、周りは助けられない。 私は、生きているけど、一人で叫んで誰も手を貸してくれない時いつも、「ああ、神様に、私、試されてるな。自分でどれだけ自分のことを助けられるか、自分の力でどれだけ踏ん張れるか、神様、私を見て、はかってるんだ。」って思う。 自分のことを助けられる、守れるのは、最後はやっぱり自分だけなのかもしれない。

          助ける、助けられる、自分で立つ。

          『みんなへ』

          みんな、私はゆっくり生きるから。 だって、もうお腹いっぱいだから。 だから、何もしないよ。ゆっくり生きるよ。 みんなは、SNS見て、社会見て、ああ足並み揃えて、あれしなきゃ、これしなきゃ、幸せにならなきゃって、みんなで一緒にぐるぐる回ってればいい。目が回るまで、ぐるぐるぐるぐる回り続ければいい。 私は、もう目は回さないよ。 目を回しすぎて、死ぬ間際までいったから。 みんなのことは決して見ない。 上だけを見て、綺麗な空をずっと見ていたいんだ。

          『みんなへ』

          私は「死にたい」とはちょっと違う。

          死んで消えたい。 私は、そういう訳ではない(時がある。) 「死にたい」よりどちらかというと、「今、私のことを知っている皆から遠く離れたところへ、姿を変えて行ってしまいたい」と思う。 ただ急に姿を消すのは、皆を悲しませることになるので、皆の頭の中にある私に関する記憶を撃って、私についてのデータを消してから、どこかに行きたい。皆には引き続き、私のことを忘れて平和に過ごしていてほしい。 変身する姿は、ゆらゆらとしているものがいい。 魚かシャボン玉。 学生の時は魚と一緒に共生する泳

          私は「死にたい」とはちょっと違う。

          自由作文「湖」

          私は年に何回か、病みの湖という湖に浸かりに行く。 私が、その湖を発見したのは、学生の時だった。 自然と私も湖もお互いに興味を持ってしまった。私は湖に呼ばれてしまった。最初に浸かった時は、浸かっていることが、悪いこととも思わず、むしろ良いことだと思っていた。ただ浸かっている時、知らぬ間に、湖の底に生えている草に足を取られていたようで、私が何かにチャレンジしようと空に手を延ばすと、その草がきつく私の足に絡みついて、私を下の方へ引っぱり、何回も湖の底に沈めようとするのであった。お

          自由作文「湖」

          学生時代、拒食症全盛期のある日に、考えていたこと。

          朝の上りの満員電車。周りにはサラリーマン。 どうせ死ぬのに、なんで、皆、働くんだろう。 何が皆を働かせているのか。 何で働こうと体が動くのか。 皆、どこへ向かっているのか。 泣きそうだった。 文学の授業中。校舎の窓から見える雑居ビルの屋上に鳩の群れ。何分かに一回、鳩たちは、屋上から飛び立って、雑居ビルの周りに大きな円を描き、またビルに戻ってくる。 どうせ死ぬのに、なんで、何回も、そこをくるくると飛んでいるの。 何が鳩をそうさせているの。 笑いそうだった。

          学生時代、拒食症全盛期のある日に、考えていたこと。

          仕方ないから、生きようか。

          人の言葉が、顔色が、機嫌が、テレビの音が、ショッキングな映画が、全部入ってくる。 人を介して見える自分が嫌いで、一人の時に一緒にいる自分も嫌いで、私にとって、この世界はとても苦しくて辛い。 毎日、戦った後、私は、皆には見えていないかもしれないけど、体中、血だらけで帰ってくる。 血だらけでご飯を食べて、血だらけでお風呂に入り、血だらけでベッドに入る。 寝て、次の日、目が覚めると、「目が覚めちゃった。ずっと寝てて、無意識の状態が続いたら良いのに。」と思う。 なんで感じることが

          仕方ないから、生きようか。