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白い闇、光る影(小説)

 信頼していた後輩のあの笑い声は私のことを笑っていたのだ。背中で聞くのって本当につらい。陰口は陰で言ってくれ・・・まさに今、体験していることかのように家に帰ってもまだ会社のことを考えている。こんな日は最悪だ。誰か、誰か、私を助けてはくれないだろうか・・・そうは思っても、私には会社で何があってどのように悩んでいるかを知っている友人はいない。
 ふいに家族にでも電話してみようと思い、スクロールが止まった連絡先は弟の電話番号だった。あいつはどうしているだろう、離れて暮らしてもう何年もたつのに連絡をよこしてこない弟。どうしてだろう。私たちはどこですれ違ったのだろう、そう思う気持ちと、疎まれたらかえって落ち込んでしまうだろうという予感がワンコールだけして切るという中途半端な行動に落ち着いてしまった。
 今日は満月だ。ワンルームの5階の窓からみる景色は都会の夜景にはない、星が痛そうなぐらい静かにたっぷりと空に張り付いている。弟からのコールバックを待つ間に私は炭酸飲料を冷蔵庫から取り出し、酒で割るわけでもなくかなりの勢いで飲んでいた。最近少しずつ体重が落ちている。鏡を見るたび、体重を計るたびにこのままでよいわけはないだろうと思いつつも、周囲にはダイエットしたくてという言い訳をしながらどんどん怠惰に、健康的な生活と無縁になっていた。今日はSNSを開かず弟と電話がしたい、カーテンを開け放した3月初めのこの部屋がとても寒く感じられたけれどカーテンを締める気持ちになれなかった。スマートフォンが鳴った。

「姉ちゃん電話した?」
「うん、なんとなくね。元気かなって」
「ワン切りってなんだよー。なんかつらいことでもあった?」
「いやそれがさ、私さ、また会社辞めたくなっててさ。なんか社会人失格だなぁって思うけど、これが私の性格なのかなぁって思うと嫌になってきた。」
「いや姉ちゃんさ・・・」

 弟は言った。こんな遅い時間に連絡できるのは俺ぐらいだったかもしんないけど俺も忙しいのだと。そうか、落ち込んでいるのか、そういう時はあったかいものでも食べてゆっくり寝れば何とかなることもあるんじゃないかと。そこまで深刻な気持ちなら・・・そんな、励まして通話を切るタイミングを計るような言葉を吐いている。ごめん、今、姉はだいぶご乱心なのだ。私は「そうだね。あー、そろそろお風呂いれてゆっくりしてみる。電話してくれてありがとう」と、弟を相手に社交辞令のようなことを言って電話を切った。

 頭の中で何度も会社の情景がぐるぐる回り始めた。違うんだ。弟よ。そう思いながら私はテレビをつけてずっと考え事をしている。カーテンをやっと立ち上がって締めに行ったとき、そうか、と腑に落ちることがあった。窓ガラスに反射した私の顔はにらみつけるような顔をしていて疲れていら立っているように見えた。

 そう、私たちは最近、悩んでいる人を見たら、励ますとか、考え方を変えるようなアドバイスをしたりとか、その人が明るくなれるようにサポートする習慣がついてしまっている。でも違うんだきっと。悩み事を抱えて押しつぶされそうなときにやっと自分の本当に迫れることが人生に、私の人生には何度もあった。辛い時にやっとわかるのだ。自分という体に当たっていた光の代わりに影が下りてくるような、白い闇に影が差して初めて自分という生き物の陰影がわかり本当を知るのだ。きっとそうだ。個性とか本当の自分とかって誰かに癒されてしまったら、誰かの考えで正しい道に導かれてしまったら、私は私という本来を見失ってしまうのかもしれない。

 やけに核心に迫る考えのような気がしたから私は今こうしてnoteなんていう誰が見るかも分からないアプリに日記のように投稿をしている。私はどうしたいのだろうと考えればきっと、夢のような明るい何かが欲しいわけではなく、「本来の自分」のようなものを暗闇の中に見つけたいのだ。今日は薬を飲んで寝ようか・・・と炭酸飲料を飲み干す前に考えたけれど、そんな気持ちになれず、電気を消してベットにもぐりこんだ。

 男の声が低く響いた。
 「おまえは結局、生きていることに疲れてるんだ」
 うるせー、と私は返す。空は赤く腫れあがり、霧があたりを包んでいた。
 轟音が響く。
 何かが地面に落下して、それがミサイルだとわかる。
 あぁ、きっと生きていることから私は解放されるのだと安堵した。
 子供の足が見える。
 ビーチサンダルを履いている。
 足の指には血がにじんでいた。
これは夢だきっと。起きなきゃ、起きなきゃ、私は焦っているのに夢は次の描写を始めた。
 真っ暗になった。そこが海に近いところだと私には分かる。
 闇。
 私は気が付いた。
 ここで動いている私を知覚できるということは、私の知覚そのものが光を放っているのだと。体は確かに光をとらえ、暗闇の中でも自分の体をしっかりと意識できた。夢だ。これは夢だ。でも、何か大切なものがキラっと光った気がして、遠い水平線を見ると、朝の光の手前で美しい蝶が私の目の前を横切っていった。


 あれは本当に夢だったのか。会社に向かう電車の椅子で、一瞬でいいからもう一度あの夢が見たいと私は祈った。

私のために誰か祈りを。

アナタに会うためなら差し出せるものは差し出そう。


 車内にアナウンスが流れた。ドアが開く。まどろみから醒めて私は職場へと向かっていくのだった。

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