見出し画像

ドリームズカムトゥルーの思い出

 何も言わずに付き合ってくれてサンキュだなんて可愛い詩をかける吉田美和は天才だと思ってます。
 ハローハローこちらは高校を卒業して映画の専門学校に進学して激しく夢破れて砕け散った生き物です。夢活、していますか?
 私、あんまり素晴らしいミュージカル映画ですとか素晴らしい舞台ですとか音楽ライブですとかに出会うと、
「あぁ、自分はこんな世界に行きたかったんだよな。」
 そういう感慨で涙がぽろぽろこぼれてくる体なんです。皆様はどうですか。ちょっと悔しくなったりしませんか。現状の自分がじれったくなったりしませんか。私は悔しい。私は憧れる。心と頭がちぐはぐになって、頭じゃドリカムのLIVEをu-nextでみつけて何となく見てるだけって言い聞かせるのに、のっけの映像から「あぁ、こんな世界にオレは行きたかったのに置き去りにされているかのようだ」そんな気持ちがわいてくると涙が止まらないです。
 夢、大切だけどさ…叶わないから夢のような気もしています。さくらももこ先生がひとりずもうのあとがきに、
「夢がかなった状態ってどのようなものかイマイチ分からない。」
 そんなようなことを書いていてまさに。と思う。現実の生活を送っていたら夢のような現実って遠い存在だからやっぱり夢じゃないですか?人を元気にするために、自分の美的感覚に忠実な世界を表現するために、人々を感動の渦の中で笑顔にさせるために、いろんな見目うるわしい考え方でスーパースターたちは私たちに夢を体現してくれる。叶わないから夢、遠い出来事のようにしか思えないのが夢、現実とのギャップが強いところにあるのが夢…暗い想像は得意なのでいくらでもできるんですけど、今日みたドリームズカムトゥルーの映像は、ピュアに、音楽をする喜び、ファンに会える喜び、いろんなタイプの喜びで満ち満ちているように見えた。
 そして、冒頭のサンキュという歌が私は好きで好きで仕方がないです。季節外れの花火を二人で燃して光にチラチラしている二人の様を幼いころ想像しながら聞いていたように思います。
 サンキュのCDを我が家が手に入れたころ、家のお風呂が壊れていてしょっちゅう車に乗って家族で銭湯に向かっていたのを覚えています。カーステレオからはドリカムやジュディマリやELT何かが流れてる。最近あの頃の音楽を聴くと泣きそうになってしまいます。
 もしかしたらさ、
「夢は現実をただひたすら夢の方角に向かって愚直に突き進んだ果ての所にちゃんとある」
 ドリームズカムトゥルーの音楽はポジティブに優しく、
「君にもできる」
 と言ってくれているようにも感じました。
 私はひねくれているのであんまり信じたくないのですが、夢はやがて叶うだなんて胡散臭くって嫌だなぁなんて思っちゃうタチなんですけれど、ドリカムの詩は歌は笑顔は私に純度100パーセントのポジティブ力で夢を見せてくれた。
 だから今日はちょっと自分自身の夢を箇条書きで書いてみようと思う。

・切り絵が好きで好きで仕方ない自分のままでいること
・物語を人に読んでもらうのにためらいのない自分のままでいること
・立派な賞や権威を手にしたっておごらず、優しいままでいること
・ひとり身の自由から人と作り上げる自由の味を知ること
・なんだろ、大阪ラバー聞きながら泣きそうになってる今の自分を忘れないこと

 最後のはちょっとニュアンス違いますが、私も、これを読んでくださる皆様も、心の中にきっと「夢のような自分の状態」はきっとあって、ドリカムやサンボマスターやウルフルズやいろんな歌手や画家や漫画家がその表現できっと教えてくれる。「あなたは素晴らしいよ。」あるいは「あなたがそんなに悩むのは仕方のないことだよ」って、夢みたいに優しくて美しくて弱点だと思えるほど脆いけれど大切な自己像を。そういうふうに心が動いたときに感動して僕らは泣いてしまうんだと思う。
 理想の社会、理想の人生、理想の自分、夢の技術、夢の人生、夢のような自分、そんなものいつまでたったって私はきっとどれ一つとして理解できずに体現もできないだろう。
 でもさ、今日の私みたいに、夢をそっと後押ししてくれるドリカムのような存在に出会える日もある。そんな経験の真っただ中は難しいこと考えずにただそっと、「あぁ。この時間にここに居られてよかった」って、ちょっと欲張りに笑って泣いちゃう今の自分のままで私はいたい。一時の夢を与える側にいつか回るのもちゃんと夢見ていたい。

 そんなことを考えている昼下がりです。
 皆様の今の夢は、どういうふうにできている?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?