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夏休みは夏休みでも毎日が8月31日なロースクール生活

 大学が「人生の夏休み」ならば、大学院は「人生の8月31日」である。

 ここで使われる「夏休み」とは、いかにも多義語だ。高尚な意味なら「好きな学部で好きな勉強を好きにすることができる自由」だろうし、野暮な意味なら「学問以外のことにうつつを抜かせるラストチャンス」だろう。

 ただでさえ人生の夏休みを謳歌している大学生も、7月になれば本物の夏休みがさらに与えられる。まさに夏休み of 夏休み、夏休みの供給過多、両手に夏休み、夏休みの終わりを惜しむ小学生がいれば一週間ほど分け与えてあげたいぐらいである。

 しかし、ロースクールに進学してみると雲行きが怪しくなる。学生という身分に変わりはなく、同じ夏休みを共有しているはずなのに。
 というのも、法科大学院生の目的は「司法試験の受験資格をゲットして合格する」と明確に決まっているからである。入学後は1~2年間、思いやりを感じられない量の予習と復習を捌く生活が続く。

 司法試験がチラつきながら過ごす夏休みなんて、楽しいわけがない。居心地の悪さでいえば、毎日が8月31日である。終わっていない宿題が視界をよぎるし、ママやパパに手伝ってもらうこともできない。少しずつ焦りが募っていく。手汗が止まらないけれど、とりあえず机に向かってみる。ああ、短答が頭に入らなくて、何回も同じところを読んでいる。さっき小学生に分け与えた夏休みは一旦すぐにでも返してほしい。

 ここまで徒然なるままにロースクールの不満をこぼしたけれど、ロースクールで出会った人たちはやっぱり嫌いじゃない。教授からのソクラテスを耐え抜いてきた者同士、無言の連帯感さえある。運悪く意地悪な教授にあたったクラスの連帯感は、文化祭前の高校2年生ぐらいある。様々なバックグラウンドを持つ友人たちと同じ教室で勉強できる機会はやっぱりとても貴重で、現役の法科大学院生のうちに、感じたことを新鮮なまま書き留めておくことにした。

 既習で入学したため、2年間で卒業する。小学校・中学校・高校・大学のどれよりも短い学生期間で、現在3年生の夏休みという事実もまだ半信半疑である。本当?まだ気持ちだけは2年生の5月なんだけど。
 赤ちゃんは2歳になれば、クレヨンをもってまっすぐな線を描けるようになるらしい。私はいまだに百選にマーカーをひく時、手が震えて別の行まで線を引いてしまうというのに。また、2歳はイヤイヤ期に入るらしい。それはとてもよく分かる、公法系も民事系も刑事系もイヤイヤである。一般教養の短答でも解いて「こんなのわかるわけねー」とか言いたい。

 いくら文章を書くことが好きでも、お堅い言葉を羅列する論文を書き続けるような持久力が正直私にはあまりない。Twitterの140文字だと物足りない出来事を、自己満足の頻度で息抜きとして更新する。

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