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「7:3」で夫を許すことにした


昔から執念深い方だと思う。物忘れはひどいのに、嫌な記憶はなかなか消えない。よく言えばしつこい、悪く言えば恨みがましい。

そんな執念深い私が、産後クライシスからの夫婦の暗黒期を書き綴ったのが、今から3年前のこと。産前産後に積もり積もった怒りが消化できない。家事育児に協力的になった夫を許せない。否、許せないのではなく、自分自身が許したくないから許さないのだと気づいたのもこの時だった。

あれから3年。浮上と沈没を繰り返しながらも、私はまだ暗黒期のど真ん中にいた。意味もなければ、なんの生産性もないとわかっていながらも、「あの時はこうだった」「あの時はああだった」と夫を責める気持ちを捨てられなかった。

人は、生きている限り常にどこかで間違いを侵す。一緒に暮らしていれば、意見が合わないことも納得がいかないこともある。それは当然のはずなのに、昔のことをいつまでも腹の中に抱え続け、さらには一緒に過ごしている中で感じた不平不満をその上に塗り重ねていく日々が続いていた。


ドラマ『きのう何食べた?』の中で、「許せない人とやっていくのは辛いよ」というセリフがある。産後から3年経っても、私はやっぱり夫を許せなかった。許せない相手と一緒にやっていくのは辛かった。けれどその夫に助けられているのも紛れもない事実だった。

夫は私よりも息子への接し方が上手い。育児も問題なくできる。家事もする。仕事もしてちゃんと収入も得る。タバコも博打もやらない。暴力も暴言もない。本当に、どこからどう見てもいい夫で、いい父親だった。育児が苦手な私が息子をなんとか育てられているのも、今のような働き方ができているのも、夫が夫だからだった。夫に不満を抱くのは贅沢な話だとわかっていた。経済的にも、息子の保育面でも、今の「3人家族」を続けていくことが一番よい形であることも理解していた。

それでも、許せない相手と一緒にいるのは、きつかった。離れるほどの覚悟を持てない自分はもっと許せなかった。次第に、夫を恨むことをやめる代わりに、感情を抱くことをやめた。恨むことはなくなったが、夫に対してなにも感じなくなった。体調が悪いと寝ていても、私は夫の健康を早く取り戻す方法と、一人でワンオペを回す算段を頭の中で展開していた。クリスマスに不意にプレゼントをもらったときも、喜びよりも困惑した。私はなにも渡すつもりがなくて、なにかを渡したいという気持ちもなかった。相手に返すつもりがないのに、一方的に純粋な好意をもらってしまい悩んだ。

夫に対して怒りを感じることはなくなった。けれど同時に、無感情にもなった。自分を守るために、自分の殻に引き篭もるために、私は「夫に感情を抱かない」という手段をとっていた。好きでも嫌いでもない、感情のない相手と一緒に生活するのは、それが現状で一番効率的な方法であると自覚しつつも、しんどかった。

いっそ全部最初からやり直したいと思った。少女漫画や韓国ドラマよろしく、記憶喪失にでもなって何も覚えていないところから始められたらとも思った。
自己啓発、夫婦関係、マインドフルネスや”感謝”の重要性を説いた本まで、ヒントになりそうな本はしこたま読んだ。カウンセリングも受けたし、心理療法や認知行動療法も試した。でも、どこにも答えはなかった。夫婦カウンセリングの事例を見ても、夫婦は互いに関心を持っていた。「夫に感情がない」とgoogle検索に投げ込んでも、ズレた結果しか出てこなかった。

なにをどうやったらこの暗黒期を乗り越えられるのか分からなかった。月日を重ねるほどに自分の執念深さが嫌になった。世の中には夫への感情を昇華したり消化したりして、なんとか折り合いをつけている人がたくさんいるのに、その仲間に入れない自分が情けなくなった。


鬱々とした感情を抱えて、3年が過ぎた。


転機は、一冊の本だった。
元自衛官で長年メンタルヘルスケアに関わってきた下園壮太氏の著書『がんばることに疲れてしまったとき読む本』

夫婦関係改善も、自己啓発もなにも期待せず読んだ本書の中で、目に留まったキーワードがあった。それが「7:3の行動評価」だった。

がんばり屋さんは、一回の経験を振り返るとき、どうしても「100パーセントではなかった」とか、「もう少しこうすればよかった」などと、”できていないところ”に目を向ける癖があります。

『がんばることに疲れてしまったとき読む本』下園壮太

そんながんばり屋さんにぴったりなのが「7:3の自己評価」という思考法です。
どんな結果であれ、10分の7は良かったところを見出すようにしてみてください。
例えば、たとえ失敗した経験であったとしても、「良い体験をした」「自分のできる限界を知ることができた」「他の人の良い部分を学習できた」「スリリングな一日を楽しめた」「知り合いが増えた」といったように、必ず良い面を七つは見つけるのです。

『がんばることに疲れてしまったとき読む本』下園壮太


ともすれば、我々は「0か100か」で考えると追い詰められがちだ。だが、なにか目標を抱いた時や、自分が試されるような状況に直面した時は、「できた」「できない」ではなく「7割できたこと」と「3割できなかったこと」を考えたほうが自己嫌悪もひどくならず、課題に前向きに取り組み続けることができますよ、という思考法だった。(と、個人的に解釈している)


たとえば、飲み会に誘われたら参加するけれど、疲れたら切り上げて帰ることにする。嫌な相手に面と向かって言い返すことができなくても、嫌な表情でため息をついて感情を表すことができれば、よしとする。こうなりたい、という自分の一部は実践しつつも、できない自分も許しているからこそ、「自分はダメだ」という「自分責めモード」を強めることなく、少しずつ変わっていくことができるのです。

『自分のこころのトリセツ』下園壮太、柳本操


「7:3」の法則は、目標達成だけではなく対人関係でも応用できる。たとえば圧が強い上司と話さないといけない場合、全てをつつがなくスムーズに話すのは難しい。けれど、「話す時にしんどくなったから3割はつらかった」「でも要件を伝えて指示をもらたので7割はOK」という具合に、「できた・できなかった」ではなくある程度のグラデーションを持って自分を評価することができれば、そのしんどさは幾らか緩和される。

これを知ったとき、初めて私は夫を許せるかもしれないと思った。夫を許すには、それまでのことを綺麗さっぱり水に流さないと許せないと思ってた。けれどそうではなくて「7割は許さないけど、3割だけ許す」という方法があるんじゃないかと気づいた。それが世に言う「折り合いをつける」ことなのだと三十数年間生きてきてようやく理解した。許したくない気持ちと、許したい気持ちと、実際に許そうとする気持ちが混在していても、それを丸ごと認めてやることで共存させることとができるんじゃないかと。

私は自分のことを完璧主義者だとはまったく思っていない。けれど「0か100か」の思考に囚われがちなのだと思う。許さない"100"か、許すの"0"か。どちらかの立場をとらなければならないと頑なに信じ込んでいた。だが実際はそんなことはなくて、許すと許さないが混在していても人としての形は保てるし、家族としての関係性は続けられるのかもしれないのだと、このとき初めて希望が見えた。


というわけで、暗黒期から3年。

いまだに夫を全部許すという気持ちにはなれない。私にとって”怒り”は「忘れたら同じことが繰り返されるから絶対に忘れるな」という強い記憶媒体みたいなものだから、この気持ちはたぶんなくならない。(死ぬ間際くらいには忘れてたらいいなとは思う)だから7割くらいは真剣に怒っておこう。けれど3割は、夫がしてくれた行動を評価して、怒らずにいたいと思う。それで私の心はだいぶ、軽くなっている。

いつかどこかで寿命が尽きる時には「まあ、いいか」と100%許すところに到達できればいいかなと思う。けれどそれも「7:3」くらいで期待してのがちょうどいいかもしれない。






<おまけ>
下園氏の本は以前から読んでいましたが、別に暗黒期を脱出したくて読んでいたわけではなくて、自衛隊が直面する「有事」の心理状況と、医療従事者が日々現場で直面する状況が非常に似ていたからです。(医療職は他職種と比べても休職者や自殺者が多いと個人的に考えており、実際に現場で応用できそうな内容が非常に多かったです)なので、日々のストレスに悩む医療従事者(特に初期研修医〜専攻医くらいの上司からパワハラを受けやすい歳の先生)は一度読んで見るのをお勧めしいます。状況が変わるかはわかりませんが、自分がなんでこんなに弱って、なんでこんなヤバい環境に職場が陥っているのかは、少しわかるかもしれません。でも本当に弱ったら、労基や専門家や友人や比較的頼れる上司に相談することをお勧めします。


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