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二度目の留学で感じる「今しかできないこと」

1回目の留学と2回目の留学で大きく違うこと。それは今すごく親孝行がしたいと思っていることです。正確に言うと、親孝行というよりも単純に「母とたくさん話がしたい」「もっと身近な存在でありたい」と心から思っているということです。

日本に一時帰国をする前の1回目の留学の時は、人生初めての海外留学でした。毎日がドキドキで自分が海外でやっていけるかどうか、それだけで精一杯。要は自分のことだけで精いっぱいだったのです。

すべてが初挑戦で毎日ドキドキしながら必死に生きていました。いろいろ挑戦したり、友達を作ったり、緊張しながら声をかけてみたり。

一回目の留学は、そんな毎日新しいことだらけの1年間でした。

でも2度目の留学の今回。バイトを始めたりと初めて挑戦することもありますが、去年と同様のこともあります。

だから少しだけ心の余裕みたいなものがあります。だからこういう気持ちが出たのかもしれません。

離れているからこそしっかりと連絡をとりあうべき。これは家族を大切にするのは当たり前のことだと外国の友達は誰しもが言います。そんな彼らと一緒にいると、私も家族が恋しくなり、親と電話をしたくなるのです。

日本の「便りがないのはよい便り」この言葉、私は大嫌いです。

親がいてくれるのは当たり前じゃない

実は日本に一時帰国の時に、義理の父が亡くなりました。あまりに急なことだったので、驚きと悲しみと…そして、いつまでも親はいてくれるものではないなということを改めて感じました。

私の年になると、すでに親が亡くなったという友達も結構います。その友達に「親と話せることは幸せだよ、私はもう話せないから」と言われると、本当にそうだなと思います。16歳の時に母親を亡くしたアルゼンチン人の友達に「どんな状況でも親は最も大切な人。もっと親切にしなければいけない」と言われ、胸がきゅーと痛くなりました。

小学生の頃みたいに

私の母は私が生まれる前から、教師をしています。そして77歳になった今も現役で働いています。今は補助教員みたいな感じで1日3時間くらいですが、週5日勤務をしています。それは母のいきがいです。

77歳になっても仕事があることに感謝をし、毎日学校に行っています。3時間の勤務だから体力的にもちょうどいいわ、なんて言いながら、でもなんだか楽しそうです。お給料で孫におもちゃを買ったり、ウクライナに献金をしたり、老後のために貯めていたり(←これ以上の老後なのだろうか?と思うけど)。
でも本人が楽しそうなので、それって、ものすごく幸せなことなのでは?と思います。おそらく母も私一緒で止まると死んじゃう人で、常に動いていたいんだろうなと思います。それはお金のためだけではなく、単にそういう性格でジッとできないだけなんだろうなと。

子供の頃は母が家にいないことや、いつも忙しくしていて、全然かまってくれないことがとても嫌でした。

私が初めて留学をすると2年前に報告したとき、母の解釈としては「娘は母親業が終わったから次の人生をスタートするために留学をした」と思っていました。それはそれで当たっています。

でも、なぜ私が子育て終了後に家を出たいと思ったのか、海外に行きたいと思ったのかが、よくわからず、母は心から納得していた訳ではありませんでした。だから私の留学は私のわがままで贅沢なことだと捉え、心の底から賛成はしていませんでした。

だから前回の帰国の際に、しっかりと時間をかけて母娘で語り明かしました。母は、私の旦那や子供たちにも会って、それぞれがどう思っているのかも聞き出していました。そのうえでようやく納得したようです。そして私の気持ちにしっかりと耳を傾けてくれました。

Okanの性格なら、接客業は向いているだろうね。

それは私にとって意外な言葉でした。私が若いころは「教師はいい仕事だから、あなたも教師になりなさい。あなたは優しい性格だから保母さんでもいいわね」と決めつけられていました(反抗して全然違う仕事をしたけど)。

今は母も私も家のことや仕事に追われているわけではないので、お互いに心にゆとりがあって、しっかり話し合える時間もあったおかげで、私はちゃんと伝えられたし、母も理解ができたような気がします。

だから今では、毎日小学生のように「おかあさん、きいて、今日学校でね…先生にこんなこと言われたよ、あーでもないこーでもない」と報告をしています。「今日、こんなお弁当作ったよ。友達にあげたら喜ばれたよ」なんてたわいもない話をするのが、なんだか楽しいです。
それは私が日本から離れ、心に余裕ができたからこそできるようになったような気がします。

日本にいるとき、家事と子育てと仕事で精いっぱいで、親に報告する余裕はなかったような気がします。話すと長くなるし、面倒くさいし、と、親と連絡をとることを疎かにしていました。

私だって忙しいんだから!やることはやってるよ!文句ないでしょ!なんて強気な感じで。ほんとかわいくなかったと思います。

心にゆとりができると、こんなに自分の行動にも心境にも変化がでるんだなと改めて感じています。日本とダブリンは遠いけど、母との距離はすごく縮まった気がします。

人生は3つに区切られている

昔、うちにホームステイしていたインド人に言われたことがあります

0歳から25歳までは自分のために人生を使う時期、
25歳から50歳までは家族のために人生を使う時期、
50歳からは社会のために人生を使う時期

これがインドの考えだと言っていました(たぶんね)。
「だからOkanは25歳から50歳(正確にいうと48歳だけど)まで必死で家族のために人生を使ってきた。だからこれからはもう家族のために人生を使う必要はないんだよ」と話してくれました。

だからといって、今、社会貢献できてませんが…。

でも私の心はすっかり切り替わっていて、50歳からの人生を新たな道で歩き始めています。いつか社会のために人生が送れるようになれるといいなーと思います。

街中がクリスマス一色です。テンプルバーのクリスマスイルミネーション
パブの中もがクリスマス一色ですごく素敵です
どのパブに入ってもハズレがないから、ダブリンはすごい
生演奏もそこらじゅうのパブでやってます
この時期の馬車にはサンタクロースが乗ってます。馬はトナカイじゃなかったけど
ダブリン城のイルミネーション
ダブリン城のクリスマスマーケット
郵便局が素敵にプロジェクションマッピングされてます
この時期、ミレニアム橋はカラフルに
とってもロマンチック


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