日記は「」のつく人のものしか読みたくならない

私は、毎日ここに日記を書いている。
文章は上手ではないけれど、ある意味大ひろげに思考をさらけ出している。
けれど、この日記を読みたいと思う人はあまりいないだろうと思う。

私は「」のついた人間ではない。

「」は「愛しい恋人」であったり、
「スタイル抜群の女優」であったり、
「努力家のアイドル」であったり、
「アイデアマンの料理家」であったり、
「才能のある歌手」であったり、
「個性の強いモデル」であったり、

その人の事に興味があって好きで、憧れたりして、近づきたくて、もっと知りたい。
そういった強く前向きな欲求によって日記をよむのだと思う。

個人的で、ある意味どうでもいい些細な毎日の記録を、読みたいと思わせるのは、
「」に入る魅力的な個性あってのものだと思う。

私は、「」に何が入る事ができるのだろう。
大学院生?アイスをいっぱい食べる人?youtubeばっかり見ている人?
就活を控えている人?研究を頑張っている人?だらけている人?
HSP(Highly Sensitive Person)?お笑い好きの人?絵本が好きな人?
偏差値28だった人?絵が好きな人?料理が好きな人?
バイの傾向がある人?よく悩む人?

どれも私のもつものでは魅力的とは思えない。
勉強してきた知識やノウハウを文章にすることで、
誰かの役に立つことができる可能性はあるかもしれないけれど、
個人的な「日記」というもので誰かの役に立つ事は、
「」を持たない私には難しい事なのかもしれない。

人の魅力というのは、どうやって手にするものなのだろう。
きっとあの人を好きな理由がわからないみたいに、
あの人の感じた一日を知りたいという欲求は、
その人に感じるどうにも言葉にできない”魅力”によって突き動かされているのだと思う。

私は、日記で多くの人の役には立てないかもしれない。
けれど、この記録から生まれる個人的な何かに希望を託して、
ぽつぽつと日記を残していこうと思う。
「」はないけれど、私の好きな日記を私が楽しむ毎日。
そんな使い方にもきっと意味があると信じて。




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