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文章が与える印象

noteに書きたいトピックをメモにまとめた。今20個近くある。それらの多くが前々からぼんやりと考えていたことについてだが、今回はnoteを始めてから感じたことについて書く。今の新鮮な気持ちは新鮮なうちに書かないと、どんどん薄れてそのうちきっと忘れてしまう。自慢じゃないが私の記憶力は本当に悪い。

エッセイを書こうと思ったきっかけ

私にはエッセイを書こうと思ったきっかけが2つある。1つは前記事「Love myself / Speak yourself」で書いている。

もう1つは、最近読んだエッセイ本の影響だ。前から特に好きだったエッセイといえば、『村上ラヂオ(村上春樹)』や『もものかんづめ(さくらももこ)』だ。ゆるくて、くすっと笑える文章が好きで、とくに村上ラヂオシリーズは何度も繰り返し読んでいるほどお気に入りだ。
コロナで暇になるまで、私は大好きだった読書から何年も距離を置いていた。時間がなかったのは自分への言い訳で、本当はのんびり本を読む心の余裕がなかった。そして元々私が読むのはおおかた小説で、エッセイ本もビジネス本も新書もあまり読まない。コロナで暇になってから思い出したかのようにまた本を読むようになり、いくつかのエッセイに影響されて私も書いてみたいなと思うようになった。

最近読んだエッセイ本

私が2021年になって読んだエッセイ本は4冊、それから読みかけのエッセイ本が1冊ある。

『やわらかなレタス(江國香織)』
『村上T(村上春樹)』
『あたしたちよくやってる(山内マリコ)』
『女ふたり、暮らしています。(キム・ハナ/キム・ソヌ)』
『阿佐ヶ谷姉妹の のほほんふたり暮らし(阿佐ヶ谷姉妹)』※読みかけ

上記は読んだ順番だ。そしてこの4冊に私はめちゃくちゃ影響を受けている。『やわらかなレタス』に出てきた美味しそうな料理を作り、『村上T』で語られるTシャツを見て私もTシャツをネット通販で見漁り、『あたしたちよくやってる』では自分と重ね合わせておいおい泣いた。
そして、『女ふたり、暮らしています』を読み終えた日の夜にシャワーを浴びながら(そうだ、エッセイを書こう)と思い立ったのだった。私は本を読むとき、いいなと思った文や印象に残った文をメモする。でもこの本は途中からメモをとるのをやめた。どの言葉もまるでするりと滑るように私の心に入ってきたので、メモをとるタイミングを失った。
”どの文章が良かった”ではなく、このエッセイ本が放つ雰囲気が良いなあ、私も書きたいな。と思った。

私の文章

noteの存在は知っていたけどたまにTwitterで流れてきた記事をさらっと読むくらいだった。自分にはこんなに文章書けないなあと思っていた。
が、いざ思い立って書き始めてみるとすらすら言葉が出てくる(まあ自分のことについて書くだけなので、当たり前といえば当たり前かもしれない)。
書き終えたことにとりあえず満足してから、他の方が書いた記事をいくつか読んでみた。すると、皆さんの記事はまあものやさしいこと。ほとんどが優しく語りかけてくれる文章だったり、くすっと笑わせてくれる文章だったりした。結構衝撃だった。他の方に比べると私の文章はなんだか仏頂面の人が書いたみたいな文章だ(現に仏頂面で書いている)。いくら自分のために書き始めたとはいえ、直接私と会ったことがない人が読むと、とっつきにくい人がとっつきにくい話をしている印象だと思う。noteを始めたばかりだが、方向性を変えるか少し悩んだ。だが時すでに遅し、2つ目に書いた記事のトピックが悪かった。だって「リトルソルジャー」だもの。
というわけで方向性を変えることは諦めた。
私もくすっと笑える文章を書いてみたいが、今は書きたいトピックがたくさんあるのでそれらを全部吐き出したあとにとっておこうと思う。

与えたい印象で文章を変える

私はただ自分の思いや考えを素直に吐き出す場としてnoteを選び文章を書いた。だからこのnoteに書いた文章はきっと私の個性だと思う。
でも、人は与えたい印象や場面によって文章のスタイルを変える。私は大きく分けて4つに使い分けている。
1つ目は、友達との会話やTwitterのリア垢だ。私はできるだけ明るく優しい印象を与えるような文章を書く。リア垢では呟く内容も選ぶ。「花が咲いている」「こんな良いことがあった」大抵そんな調子だ。
2つ目は、ビジネスだ。ビジネスメールはとくに注意を払う。社内相手か社外相手かでも異なるが、簡潔に丁寧な言葉遣いかつ冷たく思われないような文章を意識して書く。漢字の割合も重要だ。たとえば「有難うございます」は「ありがとうございます」というように、小さなこだわりがいくつかある。
3つ目は、企画書/報告書だ。私はよく相手先に企画書や報告書を作成する。数年前までは会社が相手だったが、今は公的機関が相手だ。企画書は案件1つあたり20~30ページ、報告書は案件1つあたり50~80ページだ。書いていると目は霞んでくるし、そのうち1冊の本を執筆しているような気分になってくる。報告書の内容はデータ整理や分析などが中心で、文章は必然的に堅くなる。
4つ目は、noteに書いているこの文章ということになる。書く相手によって、その相手に与えたい印象によって変えるのではなく、私の頭に浮かんでくるそのままの言葉だ。
私は相手に与えたい印象によって文章のスタイルを変えるけれど、今noteに書いているこの文章が落ち着く気がする。なんというか、何者にもなろうとしていない感じがする。

素敵な文章

最近読んだエッセイ本の中で、まだ触れていない本がある。読みかけの『阿佐ヶ谷姉妹の のほほんふたり暮らし(阿佐ヶ谷姉妹)』だ。友達が「良かったよ」をおすすめしてくれた本なのだが、本を開いて驚いた。なんと上品で丁寧な文章!もしこれを読んでいるあなたが上品で丁寧な人だと思われたいなら、私の記事を読んでいる場合ではない。阿佐ヶ谷姉妹の文章を読んでみたほうがいい(冗談です、読んでくださってありがとうございます)。
文章には「読みやすい文章」と「読みにくい文章」があり、「肌に合う文章」と「肌に合わない文章」がある。書かれている内容とは別にして、そういうスタイルの好みがあると思う。私にもたまに全く読み進められないまま閉じてしまう本があり、再度読もうと改めて最初から開いても、また数ページ読んだところで諦めてしまうことがある(そして数年後に開くと驚くほどスラスラと読めたりするから本は不思議だ)。
誰からも好かれる人が存在しないように、誰からも好かれる文章もまた存在しないだろう。私はnoteを書きながら、自分が書く文章のスタイルについて少しずつ勉強をしていこうと思う。

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