【エッセイ】入店のスペシャリスト

 新しい店に入るというのはいつもドキドキするもので、飲食店ならなおさらだ。ドアの取っ手をつかんだ瞬間、頭の中に次々と浮かんでは消えていく心配事はもはやこの店は美味しいか美味しくないかではない。中が常連ばかりで自分だけ部外者みたいな感じだったらどうしよう、とか、お店の人は優しいか、とか。席は空いているかというのもある。これもなかなか鬼門で、待つこと自体に抵抗感は全くないのだけれど、ガラガラと扉を開けて、1人、と弱弱しく人差し指を立てた瞬間、外で待ってて、と言われたとき、そして店の中でご飯を食べている人が少なからず自分の方に注目する瞬間は何とも言えず、どこかに隠れてしまいたくなる。私は、これは日常に潜む見せしめだと思っている。そんなこんなで、新しい店に入るのは怖くて仕方がないのだけれど、美味しそうな写真とかを見ると、行くしかないか…、と腹をくくるのである。

 これはある種の大冒険。この大冒険をそつなくこなす人たちが少なからず存在する。彼らはまさに百戦錬磨の勇者。そして物怖じしない鉄のハートを持ったヒーローである。何事にも恐れず、好奇心をいつまでも懐いて開拓を続ける。飲食店入場という永遠のミッションのトップをひた走る彼らに敬服してやまない。それに比べて私はなんと臆病なことか。扉を開けようとすると、子犬のようにキャイーン!と鳴き、プルプル震える。これについては、生まれ持っての才能だ、ということにしている。そうもしなければ、情けなくて仕方がないから。これは生まれ持っての才能なのです。

 さて、そんな子犬がやはり入店するときは、刺激は最小限に抑えなければならない。あまりにも刺激的だと入店前にコロンといってしまいそうになるから。

 とある都合で、バスと電車で一時間ほどかかるような場所に行った。バスを降りたとき、そこは全く見たことの無い景色。どこまでも続く住宅とその間を縫うように敷かれている細い道。バスも横幅いっぱいに走るその姿はまるで綱渡りだ。少しでも気を緩めれば、忽ち大惨事になる。とにかく、その近くに目的の場所があったから路地という路地を通って早い所、用事を済ませた。時計を見ると、13時半。まだご飯は何も食べていない。そして、たまらなく空腹。これはつまりどこかでご飯を食べなさいということだ。

 全く土地勘のない場所で、看板やらなんやらを頼りにランチを探す。といってもここは住宅街。店は一向に見つからない。ない、ない、ない…。と探している間に駅についてしまった。時計を見ると14時半。気まずい時間になったものだ。早く決着を付けなければ。駅の周辺ならなにかお店があるだろうと思って行ってみれば、やはりあった。店の前のボードにはラーメンの写真が貼ってある。辺りを見回しても、他に店のある気配はない。意を決してここに入らなければならない。

 まず、時間の問題がある。14時半。ランチの繁盛の時間帯を越えてそろそろお昼休みに入ろうか、という時間帯。そこに踏み入れる恐怖。そして、店の扉のガラスが曇っていて中が見えないという恐怖。プルプル震えながら、取っ手を持ち、開けた。
 お店に足を踏み入れた時、いらっしゃいませという声は聞こえなかった。これが私の恐怖のボルテージをグンと挙げることになった。営業時間中だよね?一見さんお断りじゃないよね?取っ手を掴みながら次々と不安材料が泉のように湧き出てくる。すると、なんだ。目がひりひりする。息を大きく吸い込むと思わずむせてしまった。店の奥を見ると、大量に積まれたトウガラシの姿。なんと、ここは激辛の店なのか。そう気づいた瞬間、店の中に充満した唐辛子の刺激が一斉にプルプル震えていた子犬に攻撃を仕掛けてきた。店員に気づかれていない今なら、まだ引き返せる!そう思った瞬間、いらっしゃいませー、何名様で。の声。ここで私は弱弱しく人差し指を立てることとなった。

 まさか精神的のみならず、空間的に仕掛けてくるお店があろうとは、夢にも見なかった。ここをトウガラシの刺激ももろともしないであろう百戦錬磨の勇者ならどう攻略するか…。扉開ける、こんちはー、1人。多分この流れなのだろう。私は彼らのように入店のスペシャリストになる日が来るのであろうか。もっと知らないお店に入って…いや、生まれ持っての才能としておくのだった。

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