家路
川沿いの道を歩いて帰る。
事務処理やら今後の計画やらで一日過ごし、少し早めに家路に着いた。妻子から見ればおれは朝出て行って夜帰ってくる、先週までと変わらない。「パパお仕事行ってらっしゃい」と出かける時に妻がせがれに言った。
たしかに一日キーボードを叩いているのがおれのこれまでの仕事で今もそうしている。だが金を稼いでいないのに仕事と言えるんだろうか。歩きながらそんなことを考えた。
ほとんどのサラリーマンの仕事は直接お客から現金をもらうわけではない。一日働いたことの何が自分の給料につながっているのかはっきりとわかる仕事は稀だ。海外と電話会議をしたり、プレゼンをまとめたり、来日した同僚を忍者レストランに連れていくと25日に金が振り込まれる、それがおれがやっていたことだ。
親父は工務店をやっていた。家だの店だのを建てて家族を養っていた。町には親父の建てた家がいくつもあり、そこにはどこかの家族が暮らしていた。ガキの頃、親父がたまに帰ってくるとおれを車に乗せてそんな家を見せて回った。車の中で親父はほとんど話さなかった。窓から指を指して「あそこ」と言うだけだ。
親父とは一緒に暮らしていなかったのでたいした思い出はない。随分前に死んでしまったからもう話すこともない。ただ、あの町に帰り、そんな家を見るとおれはあの煙草臭い車を思い出す。矢沢永吉のカセットテープと真っ黒に日焼けした親父の横顔も。
おれはせがれが生まれた時、辞めることを考え始めた。ガキを育てるのに十分な給料はもらっていた。しかし、それだけでは何かが足りないように思えた。おれはもっと足掻きながら生きる姿を見せるべきなのだ。たとえ銭にならなくても、それも「仕事」なのだろう。
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