雨とキャンプ
キャンプ生活をしていた頃、雨が苦手だった。
朝、しめった靴下にもう一度足を通す。小さな不快感から一日が始まる。雨の中で濡れたテントをたたみ、リュックに詰める。どう気をつけてもリュックの中の何かが濡れる。歩き出せばレインコートに包まれた身体はあっという間に汗まみれになり、曇った眼鏡と足場のせいで予定の半分も進むことができない。おれは雨が降る度に悪態をついた。
数日にわたって雨に降られ続けたある日、おれはこう思った。「雨は雨の都合で降っている。おれの都合に合わせて降っているわけではない」。こちらにどんな事情があろうが雨は降る。そしておれはそれを止めることはできない。だったらいちいち不愉快に思うのはやめよう。
それからおれは雨を楽しむようになった。最初の一滴が木の葉を鳴らし、やがて森全体が雨音にあふれる。おれはその音の変化に耳をすませる。動物たちは影を潜め、やがて顔を出す太陽を待っている。おれもまたそんな動物のひとつだ。言葉も交わせない鳥や鹿たちと同じ気分を共有していることに奇妙な一体感があった。
今日の東京は雨だった。傘をさして目黒川を眺めながらそんなことを思い出した。あれから何年も経ったが、今も似たようなことを考える。フォーカスすべきなのはおれの行動や感じ方であって、自分にコントロールできないことはただ受け入れればよい。会社を辞める時も辞めてからも同じ考えで動いている。
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