見出し画像

心を溶かして芽吹かせる

 noteをはじめて4年経ったという通知がきました。なんと4年とは!驚くばかりです。実際は記事を本格的に書き始めるまで半年ほどブランクがあったので、実質的に続いたのは3年半程度ということになりますが、それでもよく続いたものです。自分は根っからの怠け者でケジメもなく、努力や勉強が好きではないと思っているのですが、実はコツコツ積み重ねることが唯一の取り柄なのかもしれません。ただ、物事をほとんど達成したところで急に諦めたり、ぷつりと断ち切ったりする悪癖があるため、これからも充分注意しなければと思ったりします。まあnoteをやめたところで迷惑する人がいるわけでもなし、続ければありがたいことに何人かの方は読んでくださるので、自由にやっています。いずれにせよ自分の性格からして、やめると宣言をしてやめることはないのかもしれないと思います。

 noteをはじめた経緯は、以下の自己紹介(しない)記事でも書いています。

 始めた頃は、なんとなく歳をとって人生を折り返してみたものの、私生活を充実させる基盤をなんにも築いていない自分に対する絶望に打ちひしがれていた時期でした。筆の向くまま、どこかに一歩踏み出したいと思って始めた執筆でしたが、なかなかネガティブな性格そのものを変えることは難しく、状況はそれほど大きく変わった気はしませんが、客観的には少しずつ変化が兆しているようです。この春以降、いくつかの新しいことにチャレンジしようと考えています。その中には、noteを通じて知り合った方々との企画も含まれています。いくつかのチャレンジをして、そこからひとつでも形になるものを残せたら、これほど嬉しいことはありません。

 もう暦の上では春ですが、少し前の通勤の途中、歩道の外側の植え込みの土くれに、何年振りかの霜柱を見ました。きっと去年もそれはあったはずなのに、迂闊にも見逃したまま時が過ぎていたのです。人生とはそんなもので、心境や目線が変われば、いつも見過ごしていた景色の中にも、ふとしたはずみで今までと違う発見があらわれるのでしょう。しかし、それを見つけるにはきっかけと意志が必要です。わたしがいつもの道で霜柱を見つけられなかったのは、ずっとわたしの心が凍りついて、知覚が鈍っていたせいかもしれません。そんな心の凍結を、3年半かけて溶かしてくれたのが、このnoteで気ままに綴った記事でしたし、そこから芽生えた交流だったと思っています。このように凍てついた偏頗心を溶かしていく過程を繰り返して、人は少しずつ成長するのかもしれません。

 最近は書きたいものを書くというより、書きたいことを探るために書くという感じが多くなっていますが、そうやっているうちに春を迎えて、アイデアの種も育ち始めてくるかもしれないと期待しています。今後も少しずつ、ネットの片隅に徒然と文字を流して、せせらぎを創っていきたいと思います。日々の記事を読んでくださる方々に改めて感謝申し上げるとともに、引き続きお付き合いのほどよろしくお願いいたします。





この記事が参加している募集

noteでよかったこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?