見出し画像

学びが子どもの手に渡る

「昨日、テレビで見たゲゲゲの鬼太郎の中で雪女が出てきたんだ。それを見たときに明日の作家で書こうって思ったんだよね。」
そうやって嬉しそうにクラスの女の子が教えてくれた。
これは今日の授業中の会話だ。

彼女は家に帰ってテレビを見ている時まで材料集めをしている。
きっとは頭の中は家に帰っても作家モードなんだ。
日常の中でどんなことが書けるかな。どんなことが書きたいかな。
そんなことを考えながら過ごしているのだろう。

こんなことは今までしてきた授業にはなかった。
授業が終わっても学びは続いているし、学ぼうとしている。
しかも、それはほとんど無意識だ。

ワークショップという枠組みで子どもたちがつくり手になる。
その可能性を改めて感じることができた。
1年生の女の子が日常に学びが緩やかにつながっていることを教えてくれた。

さらに今日は支援級の子のサポートで入ってくれた先生と授業について話しながら子どもたちの様子を見ることができた。
作家の時間がどういう授業なのか。
現状の書く授業にどんな課題を感じているのか。
子どもたちはどんな作品を書いているのか。
実際に子どもの姿を見ながら話すことができたのはとても話しやすかった。

ちなみに書く授業の課題を話すときにこんな話をしている。

うちの自治体の先生たちが負担に感じている仕事は書くことだ。
それは指導案と通知表の所見。
もしかしたら、他の自治体の先生たちもそうなのかもしれない。
この書くことの2つを苦手としていることから、日本の書く授業はうまくできていないのではないか。
先生はきっと日本の公教育をうまく受け取れた人が多い集団だと思う。
にも関わらず、その集団が書くことが苦手というのは、書く授業がうまくいっていないということの根拠になるんじゃないかな。
こんなことを考えている。

さて、話を戻そう。
その先生が僕が見ていなかったことを教えてくれた。
それは子供たちがお互いの作品についてよく知っていると言うことだ。
どんなことを書いてるのか子どもに聞いたときに、その隣の子が詳しく説明してくれたそうだ。
しかも、その内容がかなり詳しかったようだ。
1年生でそれだけ理解して共有できていることはすごいと言ってくれた。

僕が見取れていなかったことをその先生は見取ってくれた。
ワークショップ授業でT2が入るのはとても有意義なのかもしれない。
お互いに見えていたことを共有するだけでもとても大きな学びになるように感じた。
ワークショップ授業での研究授業の見方にもつながるかもしれない。
そんなことも考えられた時間になった。

さて、今週の金曜日までに最後の文章の締め切り。
1年生でも締め切りに向けて少し焦り出している。
いつも時間なんか全く気にしていない子が
「先生。今週は作家の時間あと何回あるんですか?共有の時間はなくしてほしいんですけど!書く時間が欲しいから!」
こんなことを言ってくる。なんて微笑ましいんだろう。
今年度もあと少し。
学びが子どもの手に渡る感覚。
少しだけ感じられてきているかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?