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「振り返り」の価値をどうやって譲り渡すか

今週末に3年間取り組んできた校内研の発表がある。研究の中心は「子どもが話し合いやすくなる環境はどのようなデザインをすればつくることができるのか?」と言う問いだと僕は思っている。

僕が所属する低学年ブロックは、本発表で1年生が「お店屋さんごっこ」行う。この授業は、話すときに質問をすることで話が楽しくなることを感じて欲しいと言う願いを込めてつくってきた。

今日、僕のクラスで前授業を行った。話し合いの場面では、お客さん役の子どもたちがたくさん質問をし、楽しそうにやり取りをすることができていた。
2年生の教室に招待してもらって、お店屋さんをやってもらったこと。実際に学区の商店街へ行き、真似をしたいお店と売りたい商品を決めたこと。売りたい商品について2年生に詳しく教えてもらったこと。お店屋さんごっこのお店の店頭には、写真を並べたこと。机の配置の方法。お店屋さんとのやり取りをメインにする下見の時間と実際に買い物する時間を分けたこと。などなど、今まで行ってきたことが噛み合って、楽しく話し合うことはできていた。

しかし、買い物を終えた後の最後の振り返りがなんだかうまく歯車が噛み合わなかった。
①買ったもので一番気に入っているものはどれ?
②それを買ったときにどんなお話をした?
この2段階の発問で振り返ってもらったのだが…
1年生が自分が話したことをもう一度言語化すると言うのはあまりにも難しかった。

授業後にブロックの先生との話し合いで改善策を出すことはでき、研究としては一歩進んだように思う。

しかし、この振り返りを子どもに「させる」と言う感覚がどうも自分の中でしっくりとこない。こちらが「させている」以上、子ども自身のためになる振り返りは行えないのではないか?でも、数をやらなくては振り返りの価値を子どもが感じるきっかけもないのではないか。

現状でも悩んでいる状態は続いている。僕自身が子供の頃を振り返ると、授業の振り返りはものすごく適当にやっていた。3段階評価のものであれば、全部最高にしていた。記述式のものであれば、ものすごく抽象的に書いていた。

では、どうやって振り返りができるようになったのだろう?どうして今ブログに自分の振り返りをまとめているのだろう?
振り返りの価値をはっきりと感じたのは、大学でのTAPの経験。体験学習サイクルを回せば、全ての経験は学びに変わると深く腹落ちした。プログラムのあとは深夜まで話し合って振り返っていた。

でも、それを子どもたちにどうやって譲り渡していけばいいのか。それは今は全然わかっていない。けれども、振り返りの重要性は感じている。

今後、自分が深く考えなければならないことのような気がする。

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