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続・京都〜日光570キロを9日間で走った話(その11)

参ったな〜明日は土砂降りか。

前日、一年ぶりのガストの唐揚げ定食の堪能に失敗してしまった私は、その落胆からなんとか復帰を果たし、翌日は栃木宿までの60キロの暑い行程を完遂させていました。しかし、スマホの天気予報を見る限り明日の最終日には大量の降雨が予測されており、とても満足に走れる天候ではありません。

ゴール関門は明日の18時。当初は全570キロの行程を走馬灯のように脳裏に思い浮かべながら最後のコースを堪能することを想定していたのですが、この大雨では関門までにゴールにたどり着けない可能性があります。それでも最終日に応援があれば心強いのですが、昨年度のゴールを一緒にした埼玉のご夫婦は、今年は素晴らしい先見の明を発揮し豪雨の栃木を脱出しているとのこと。

かくなる上は夜明けとともに宿を出発し、雨が降り出す前までにできるだけ距離を稼ぐしか無いだろう。旅は道連れ世は情け、私とC氏は朝5時に栃木を出発し雨は二人で協力してなんとか凌ごうという相互条約を締結し各自の宿へ向かいました。

そして翌日、まさに絵に書いたような、今にも雨が降り出しそうな曇天です。
「ガンガン行こう!」
我々に残された時間はわずかしかありません。ペースを上げて走り出します。しかし合戦場といういかにも古戦場跡を想像させる宿場町を過ぎた所で次第に雨が強くなり、無常にも20キロほど走ったところで大雨となりました。

大雨の日光杉並木街道(C氏による撮影)。撮影なので元気なように見えるが、実はかなり疲弊している。


当たって欲しいときには当たらず、外れてほしいときには外れず、という天気予報マーフィーの法則を目の当たりにした我々は途方に暮れました。しかも広島在住のC氏は明日は仕事で、今日中に新幹線で広島に帰る必要があるとのことです。

「逆算すると、午後2時までにゴールか、、」

さしものワークマンのレインウェアがびしょ濡れの状態でも、シューズの中にこれでもかという量の雨が入り込んできても、我々は突き進むしかありません。しかし、上から果てしなく叩きつける雨はどんどん我々の体力を奪っていきます。

これは、もう一人助っ人を呼ぶしか無いな。

幸い、本大会に軽井沢から参加している知人D氏が今日の昼頃ゴールをする予定で、スマホで連絡を取るとゴール手前5キロ地点で待ってくれるとのことです。

よし!

これで三人。三本の矢、三人よれば文殊の知恵、などと申します。二人より三人の方がよりお互いを支え合うことができることは古今東西の物理法則でも証明されています。俄然元気が出てきました。

今市駅付近で落ち合い、コンビニで雨宿り及び補給を済まし、いざゴールの東照宮へ。登り道も相変わらず雨がひっきりなしに降り注ぎます。しかし、三人になった我々に怖いものはもうありません。

日光手前で落ち合ったD氏と。まさにランナーズハイを体現したような表情。

日光駅を過ぎ、坂道を気合で登り、そして土砂降りの東照宮の門を超え、残すは最後の直線のみ。
「ラストー!」「行けー!」「ファイト~!」
この上ないランナーズハイに陥った三人は、各自奇声を上げながら、土砂降りの東照宮の門へ最高の歓喜のゴールを果たしました。ああ、今年も完走しました例幣使みちジャーニーラン。また来年も待ってるがいい!

〜後日〜

「え?お盆ですか?」
「そう、お盆だったら、やっても良いと思うんだけどな〜。」

後日開催した打ち上げの席で、本大会の主催者の方はこう話をしました。なんでも来年は今のままGWでの開催とするが、次の年のGWは他の予定が塞がっていて厳しいため、8月のお盆に開催したい、とのこと。

水が切れそうになった美濃の山奥の旧道、佐久平のうだるような暑さ、関東平野の熱気、、あれをお盆の時期に!?

これは、一体誰が出るのだ?生きて帰れる大会になるのか?
まぁ、逆にプレミア感はあるのかもしれませんが。
(この章終わり)

打ち上げ後の写真。傘を指してる人物が大会主催者。この時は「お盆か〜行くぞ〜!」と盛り上がったが、帰って冷静になると青ざめました。




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