外崎則夫

10年ほど前まではWebにて物書きをやっていました。著書として「マイクロソフト・シンド…

外崎則夫

10年ほど前まではWebにて物書きをやっていました。著書として「マイクロソフト・シンドローム(オーエス出版)」があります。 物書きとしては完全に引退していましたが、2021年秋、この時に入院した知見は広く知らしめた方が良いと考え、久々に筆を取りました。

最近の記事

京都〜日光を9日間で走った話2024(その2)

「まずい、、これは明日の京都のスタート時間に間に合わない可能性がある」 スタート前日の夜、品川駅の新幹線乗換口。この日からのぞみ号は全車指定席となり、指定券を購入せずして乗車することは不可能となっています。むろん私も心得ており、そのため1時間前には品川駅に到着し、指定券を購入後車中の人となるはずでした。 しかしかの指定券売り場は、まるで舞台の幕が上がった瞬間の劇場のように多くの人々で溢れていました。日常の役割を一時忘れ、各々が自己の目的を果たすため、つまりは目的地への指定

    • 京都〜日光を9日間で走った話2024(その1)

      忘れるということは、時として恵みである。しかし私の記憶の欠落は、そんな甘美な語句で包み込むにはあまりにも無秩序で、猛烈だ。 GWを丸ごと使い、京都から日光東照宮まで、およそ570キロを走破する大会「例幣使みちジャーニーラン」。昨年度無事2回目の完走を果たし、意気揚々とわが埼玉に帰郷した私ではありましたが、しかしふと我に返った私はそんな勝利の美酒に酔うこともなく、一人果てしない絶望感に苛まれてしまっていました。 とにかく、私は第一回大会は完走したのです。よって確かに一度は通

      • 「翔んで埼玉2」の未解決問題を考察する(番外編)

        「さ」狭山茶を飲みながら 「い」いつもの草加せんべい 「た」たくましい深谷ねぎ 「ま」まだまだ沢山あるから これは、前回の記事での言及した、はなわ氏によるあまりにも秀逸な「翔んで埼玉2」のテーマ曲「さきほこれ埼玉」の後半の歌詞です。 実は前回、映画に残された最後の未解決問題としてこの歌を取り上げたのですが、かの記事をご覧になった方々の中には 「この後半の部分もかなり謎が多いと思われるが、なぜ取り上げなかったのか?」 と感じられた方も多かったと思われます。 実は、この箇所に

        • 「翔んで埼玉2」の未解決問題を考察する(その2)

          え?公開四週目で早くも興行収入15億円ですか? 確かにヒットするだろうとは思っておりましたが、それにしてもここまで売れるものですか。よほど日本国民は虐げられた民衆を題材とした物語がお好きなのか、もしくは単にMなだけなのやもしれませんが。ああ、女王様!今宵も我が醜い埼玉は、その大いなる愛のムチで昇天するのです。 それはさておき、本映画はその公開に際し、主役のGACKT氏は「この映画はパート2で終わり、その次は無い」と明言しておりました。 その言を聞き、私をはじめとしたさいた

        京都〜日光を9日間で走った話2024(その2)

          「翔んで埼玉2」の未解決問題を考察する(その1)

          あの衝撃の公開から4年。すべての埼玉県民が、いや全ての虐げられた日本人が鶴首していたと申しても決して過言ではない、あの大ヒット映画「翔んで埼玉」の待望の続編が先日公開されました。埼玉地区はもちろん関西方面でも映画館は空前の賑わいを見せているようで、公開から一ヶ月も立たずして100万人の動員を達成するなど早くもアカデミー賞受賞間違いなしとも言われております。 かくいう私も公開3日目に板橋のイオンシネマにて視聴してまいりましたが、前作に増して大変完成度の高い、映画史上に残る大作で

          「翔んで埼玉2」の未解決問題を考察する(その1)

          続・京都〜日光570キロを9日間で走った話(その11)

          参ったな〜明日は土砂降りか。 前日、一年ぶりのガストの唐揚げ定食の堪能に失敗してしまった私は、その落胆からなんとか復帰を果たし、翌日は栃木宿までの60キロの暑い行程を完遂させていました。しかし、スマホの天気予報を見る限り明日の最終日には大量の降雨が予測されており、とても満足に走れる天候ではありません。 ゴール関門は明日の18時。当初は全570キロの行程を走馬灯のように脳裏に思い浮かべながら最後のコースを堪能することを想定していたのですが、この大雨では関門までにゴールにたど

          続・京都〜日光570キロを9日間で走った話(その11)

          続・京都〜日光570キロをを9日間で走った話(その10)

          非常に長い距離を走破するウルトラマラソンという競技に於いては、そのコースが大変解りにくいことがままあります。 通常のマラソンではコースの誘導員がついている、もしくは集団で走るためコースを迷うことがそもそもない、といった理由でこうした懸念を持つことはほとんど無いのですが、これほどの長い距離を走る大会ともなると、ルートが記載された地図を渡されてあとは自己責任で走ってくれ、というケースが多くなるのはやむを得ません。 そのようなわけで私が前回期せずしてコースを逆走してしまったわけです

          続・京都〜日光570キロをを9日間で走った話(その10)

          続・京都〜日光570キロを9日間で走った話(その9)

          軽井沢から群馬伊勢崎まで。全9日間のこの7日目の行程は、難所は少ないものの最長の79キロを要する距離です。しかし逆に言えば、この行程さえクリアすればゴールしたようなものと申しても過言ではありません。 ただ一つ、天候という不確定要素の懸念を除いては。 5時起床。6時出発。さすが避暑地として有名な軽井沢の早朝は肌寒く、ジャケットにロングパンツの装備でも寒いくらいです。いかにも「私はセレブ」という出で立ちのおしゃれなウエアに身を包んだ女性がさっそうとジョギングで追い抜いていく姿に

          続・京都〜日光570キロを9日間で走った話(その9)

          続・京都〜日光570キロを9日間で走った話(その8)

          ゴールデン・ウィーク真っ只中の5月3日。この日に中山道随一の温泉地及び観光地である下諏訪での宿泊先を直前で調達することは、まるでマラソンランナーがボブサップに素手で勝つごとく多大なる困難を極めます。 そのようなわけで宿泊先の調達に遅れ下諏訪での宿の確保に失敗していた私は、やむなく2駅先の茅野の大浴場付きステーションホテルに今日の寝所を確保していました。下諏訪とは異なり温泉ではありませんが、大浴場ということなら足を伸ばしてゆっくりできる。何の不満がありましょう、と考えていたもの

          続・京都〜日光570キロを9日間で走った話(その8)

          続・京都〜日光を9日間で走った話(その7)

          我が国では何かを代表するものとして、その総数が三以上の場合は「大きい」の文字を使用し、三大夜景、四大文明、などと呼称を付与してその栄誉を称えることを世の習わしとしています。三大夜景は神戸函館長崎とされておりますが、最近では函館と長崎がその地位から陥落し、かわりに札幌や北九州市が選定されたとの情報もあります。夜景には都市の光が欠かせないもの、時代の移り変わりと共にその主役も変わり得るのはやむを得ないものかもしれません。なお我々ランナーにとっては五大栄養素の摂取は非常に重要です。

          続・京都〜日光を9日間で走った話(その7)

          続・京都〜日光を9日間で走った話(その6)

          安かろう、悪かろう、などという言葉は、まさに遠い昔の遺物と化してしまったのかもしれません。 例えば、皆様もユニクロがお好きな方もいらっしゃるかと思います。一昔前は、かの製品と言えば安価であるがデザインも野暮ったく品質も良くないなどと囁かれておりましたが、今やそのような風評は全く過去のものとなり、そして今やユニクロをしのぐ安価で良質なブランドも多数排出している新たなる時代が到来しております。 その代表が、かの偉大なるブランド「ワークマン」でありましょう。 元々は建築などの現

          続・京都〜日光を9日間で走った話(その6)

          続・京都〜日光を9日間で走った話(その5)

          「お客様、窓からお城が良く見えるお部屋を用意しておきました」 おそらくそのホテルの支配人は、疲労困憊の出で立ちをして現れた眼前の男を見て、せめて翌朝はゆっくり外の景色でも見ながら休んでほしい、というおもてなしの精神からその言葉を発したのでしょう。 しかし、明日は9日間中の最難関区間です。去年まさに満身創痍で夜遅くホテルにたどり着いた苦い経験を持つ私は、とにかくこの日は朝早く出発して時間の余裕を持たせねば、と考えておりました。翌朝、私は窓のカーテンを開けることもなくそっとフ

          続・京都〜日光を9日間で走った話(その5)

          続・京都〜日光を9日間で走った話(その4)

          全く、2年連続で同じ場所の側溝に落ちるとは。 とりあえず傷を乾かすために風呂に入らずにその日は睡眠し、翌朝傷を応急処置をして軽く入浴しました。まぁ傷はあるもののそれ以外のダメージは無いのであと8日間は問題なく走れるだろう。 ホテルで朝食を取り、6時半に出発すると昨日からの雨はまだ降り続いています。昨年最難関だった3日目の区間を少しでも短縮するため、この日は去年より2キロ先まで走る予定。雨だからとモタモタしているわけには行きません。 この区間で最も著名な関ケ原の地にさしかかる

          続・京都〜日光を9日間で走った話(その4)

          続・京都〜日光を9日間で走った話(その3)

          位置について。用意、スタート! スターターがいないかわりに上記の心の叫びと共に、私は4月29日の8時40分、京都御所を日光に向けてスタートを切りました。 去年と違い今年は決められた期間内のうち好きな時間にスタートして良いことになっています。良く言えば融通がきいた運営、悪く言えばほったらかしとも言いますが、多くの人は前日に京都入りし、かなり早くからスタートをしていた模様。私は早朝入りのため同日スタート組ではほぼ最後尾での出発となりました。天候は曇り空、今日は午後から雨が降ると

          続・京都〜日光を9日間で走った話(その3)

          続・京都〜日光を9日間で走った話(その2)

          当選!? 本当ですか? この思いがけない知らせを受けて、私は非常に驚きました。思えば東京マラソンなどは度重なる応募にも関わらず一向に当選する気配すらなく、最近では「フルマラソンなどタイムと距離が測定できればどこも同じである」という打算的思考の元、かの大会には全く応募すらしなくなっていた私にとって、GW前に届いた上記の知らせはまさに晴天の霹靂と言うべき朗報でした。 話を一ヶ月前に戻します。 京都〜日光の大会へのエントリーも首尾よく終え、事前の予習も怠ることなく済ませた私には

          続・京都〜日光を9日間で走った話(その2)

          続・京都〜日光を9日間で走った話(その1)

          「え?今年も開催するんですか!?」 あの、今までの人生観をことごとく覆すような輝かしい黄金の日々。京都から日光までの旧中山道と日光例幣使道を通りし古の例幣使の行脚を、自らの足で走って再現するという大いなる歴史とロマンに満ちた大会。昨年度その第一回大会にいち早く応募し、数々の艱難辛苦を乗り越えてなんとか完走を果たした私でしたが、それから数ヶ月後のある日、翌年は開催されないと話していた大会主催者から、今年の開催が決定したとの吉報が届きました。 私は昨年は確かに完走はいたしました

          続・京都〜日光を9日間で走った話(その1)