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続・京都〜日光を9日間で走った話(その4)

全く、2年連続で同じ場所の側溝に落ちるとは。
とりあえず傷を乾かすために風呂に入らずにその日は睡眠し、翌朝傷を応急処置をして軽く入浴しました。まぁ傷はあるもののそれ以外のダメージは無いのであと8日間は問題なく走れるだろう。
ホテルで朝食を取り、6時半に出発すると昨日からの雨はまだ降り続いています。昨年最難関だった3日目の区間を少しでも短縮するため、この日は去年より2キロ先まで走る予定。雨だからとモタモタしているわけには行きません。

この区間で最も著名な関ケ原の地にさしかかるとようやく雨も上がってきました。関ケ原戦場跡。多種多様な武将がこの地を彩る中、500年前に壮絶な戦死を遂げた大谷吉継は人気が非常に高いようで、随所にゆかりの地の案内板が出ています。裏切りにも動じることなく初心を貫徹!私も当初の思いを忘れることなく、日光に無事馳せ参じようとの思いを新たにしました。しかしなんで石田三成はあんなに嫌われていたのでしょうか。

関ケ原を過ぎた所のれんけ畑。雨上がりの瑞々しさが心地よい。

その後、ようやく雨も上がり、岐阜県に入りました。去年に比べて少しは周りを見渡す余裕もあります。揖斐川近くの呂久の渡し付近には、幕末に京都から将軍家に降嫁した皇女和宮がこの地で見た紅葉の美しさを呼んだ歌碑が建てられています。

皇女和宮の歌碑。「おちてゆく 身と知りながら もみじ葉の 人なつかしく こがれこそすれ」私はこのもみじの葉のように落ちていく身だが、最後に真っ赤に燃えるこの葉のように、私も嫁ぎ先の人に精一杯尽くしていきたい、という意。

なんと素晴らしい!わずか16歳でこのような歌をさらっと詠んでしまうとは。。今の世にいたらナントカ48などを凌ぐ人気を誇っていたに違いありません。もちろんファンクラブ入りますよ!

その後長い道のりを走り、ようやく今日の目的地の各務原駅前に到着しました。近くにあったなか卯に入り今日のディナーの親子丼を頼もうと券売機の前に立つと、店内にいた方が話しかけてきました。

「ひょっとして、京都から日光に走っている方ですか?」

どうやら、私がその時ただならぬ雰囲気を醸し出していたため声をかけてみたとのことです。聞くとその方もランニングをされるとのことで、初対面にもかかわらず大いに話が盛り上がりました。いや〜こういう出会いがこの大会の魅力なのですよ。

「いや〜すっかりファンになりました。ぜひインスタでフォローさせてください!」

私はインスタはアカウントは一応作っているものの、ほとんど使っていない状態でした。が、せっかくの申し入れです。ここでファンをないがしろにするのは令和の例幣使としての名折れであると申さねばなりません、私はその方に快くアカウントをお伝えしました。

「ありがとうございます!残りも頑張ってください!」

その日から私のホテルでの日々のルーチンにインスタに今日の写真をアップする、という作業が加わりました。風呂と洗濯、ラインやランニング仲間への生存報告も必要ですが、ファンも大事にしなければなりません。一日に取ったよりすぐりの写真と走った距離をアップし、その日は眠りにつきました。結果的に今日は非常に満足の行く道程でした。

ただひとつ、その方が未だに私をフォローして下さっていない、という事実を除いては。

(次回に続く)





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