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続・京都〜日光570キロを9日間で走った話(その8)

ゴールデン・ウィーク真っ只中の5月3日。この日に中山道随一の温泉地及び観光地である下諏訪での宿泊先を直前で調達することは、まるでマラソンランナーがボブサップに素手で勝つごとく多大なる困難を極めます。
そのようなわけで宿泊先の調達に遅れ下諏訪での宿の確保に失敗していた私は、やむなく2駅先の茅野の大浴場付きステーションホテルに今日の寝所を確保していました。下諏訪とは異なり温泉ではありませんが、大浴場ということなら足を伸ばしてゆっくりできる。何の不満がありましょう、と考えていたものの、結局到着後疲れてうっかり寝入って大浴場の時間を逃してしまい、やむなくユニットバスの狭い湯船に浸かりながら私は明日の計画を立案していました。明日は和田峠超えで走行距離数は70キロの最後の難関コースです。
翌朝、眠い目を擦りながら茅野駅から始発電車に乗り、下諏訪駅から朝6時半スタート。和田峠まで約3時間の道のり、ゆるやかな登り以外はほとんど歩いて進みます。何しろ標高1600メートルの和田峠。浅田次郎の「一路」では名馬白雪とともに猛吹雪の中決死の行軍をしたこの道のりを、今は途中やはり同行することになったB氏と共に淡々と登っていきます。
そしてようやく頂上!八ヶ岳などが展望できるこの峠で、GWに中山道を歩いて熊谷まで旅をする予定という方にお会いしSNS用の写真を撮影していただきました。やはりインスタなどのSNSでの写真の共有は重要です。とは言え未だにかの方にはフォローは頂いていませんが。

和田峠にてB氏と。去年と同じ絶好の晴天。標高が高いためロングパンツとジャケットでも問題ない気温。

そして和田峠からの山道の下りです。この道は大変整備されていてとても走りやすく、年甲斐もなく甲高い歓声を上げながら下って行ったのですが、しかし、山道からアスファルトの道に降り立った瞬間、突如うだるような佐久平の熱気が襲ってきました。

皆様もご存知の通り、マラソンのシーズンは冬です。1レースで3000キロカロリーものエネルギーを消費する過程で発せられる熱、これを効率よく外部に放出するためには外気は適切な低温である必要があり、気温としては10度前後が理想的であると言われています。
そんな中、30度近くまでに達している佐久平盆地の熱気。義務教育の体育の授業はおそらく禁止になるであろうこの気温の下であっても、本日の目的地までたどり着かなければ制限時間までの完走は達成することはできません。B氏と別れを告げ、私は急いで一人で先を進むことにしました。

佐久平の歩道橋からの眺め。夕暮れでもまだ昼の熱気が残り厳しい行程が続く。

盆地の最下部を過ぎた頃日が落ち、そこから軽井沢までの道のりの扇状地は進むに連れ容赦なく坂道が急となって行きます。しかも、夜間ともなるとすっかりあたりは闇に。たまに見える、どう見ても我々のような下々の者には到底手が届かない高級リゾートホテルの明かりを横目にしながら、中軽井沢の宿までの登りを懸命に走っていきます。しかし夜になっても下がらない気温と疲れからなかなかスピードが上がりません。精神的にもダメージがつのっていきます。

これは今日も到着は夜遅くだな、、、

と、思っていたまさにその矢先、漆黒の闇をつんざく「おーい!」という後方からの叫びを耳にすることになったとは一体誰が想像したことでしょうか。

見ると、スーパー市民ランナーであるC氏です。先日も某ハーフマラソンで年代別優勝を遂げたほどの彼はとうに先に行ってしまったと推測しておりましたが、やはりこの暑さ、思うような自分の走りができなかったのでしょう。
しかしこの見知らぬ田舎道の夜に同胞に会うということは、三途の川でお釈迦様にお会いしたようなもの。俄然元気が出た私はその後順調に歩みを進め、無事本日の宿泊先である中軽井沢の宿に到着しました。やはり持つべきものはラン仲間! 苦しさも楽しさも分かち合えてこそ、この旅の意義も大きなものとなり、同時にこの記事のネタともなると申しても過言ではありません。

軽井沢。木枯し紋次郎の如く幾度も峠を超えてきた我々も、あと10キロも走れば懐かしい関東の地です。制限時間まであと3日。これからはさしたる難所もありません。まぁここまで来れば目をつぶっても到着するだろう。

しかし、本行程での最大のドラマがその翌日に待ち受けていることになろとは、当時の私は全く知るよしもありませんでした。

(次回に続く)




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