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DARCの流儀

1.      DARC(ダルク)の取り組み
DARC=ダルク(Drug Addiction Rehabilitation Center)は、この38年間、つながりにおける回復を実践してきた。1985年に東京の荒川区で薬物依存回復者の近藤恒夫氏が始めた。現在、全国に66の運営組織があり、93の施設を運営しており、利用者は1,500人程度いる。韓国においても3か所のダルクが活動をしている。ダルクは、薬物問題を持つ当事者同士が助け合い薬物を使わずに生きるための学びと実践の場であり、現在のようにさまざまな制度がないころに創設された施設である。
私が代表を務める木津川ダルクは、2013年に全国で53ヶ所目のダルクとして誕生した。木造2階建て186㎡の5LDKの一軒家と、仕事に就き始めた仲間のために42.23㎡の1LDKのマンションの3室を用意しており合計入所定員は14名である。
ダルクは、医師や看護師、PSW=精神科ソーシャルワーカ-(Psychiatric Social Worker)など専門家が所属しない回復支援施設として活動してきた。依存からの回復について啓発もしてきた。ダルクは薬物をやめたいと願う仲間が集まる場所であり、その手助けをする場所です。スタッフと利用者の間には支援する者と支援される者との一方向的な関係ではなく、ダルクに集う仲間として回復経験豊かな者がスタッフとなっているだけで、今日初めてやってきた薬物依存者にも出来る手助けはある。ダルクでは回復に向けた一体感や回復という雰囲気を保つ事を大切にしている。それは、コーヒーカップを洗うことから食事を作ることやパソコンを使っての事務や作業など、助け合いながらの薬物を使わず生きるための共同作業である。最も大切にしていることは、自分自身と向き合い体験から得た経験を分かち合うミーティングであり、薬物をやめ続けようとするモチベーションの維持、絶望的な状況だったことを分かち合い希望と出会うことができる。多くのダルクが午前に1回、午後に1回、夜間に地域で行われているNA(Narcotics Anonymous=ナルコティクス・アノニマス)のミーティングへの参加を基本的なプログラムとしている。このミーティングでは「言いっぱなしの聞きっぱなし」が基本で討論はしない。ディスカッション・ミーティング、質疑応答のあるミーティング、講演形式のミーティングもある。ミーティングでは家族の事や他人や社会、政治の話しはせずに体験から得た経験を話す。司会者はある程度プログラムを実践してきた仲間やスタッフが行い、ミーティングの話題やテーマを決める。参加者は仲間の顔が見えるようなかたちで座り、話したい人や指名された人がその日の話題に添って仲間と経験を共有する。
 
 


2.      ダルクの四つの条件
ダルクの開拓者的な活動が、薬物依存者がクリーン(薬物から解放された人生を生きること)になることを日常生活のなかで助けるだけでなく、将来の依存症回復センターのモデルになると考える。薬物依存者に対して、回復センターは何をすべきなのでしょうか? どんな種類のプログラムが高い成功率を生むのでしょうか? ダルクは理想なのでしょうか? 私たち経験では、施設における設備の良さとか、スタッフの資格の有無とか、施設内で行われている心理学的・作業療法的・レクリエーション的なプログラムの数と回復率とは直接的関係はない。無責任なやり方をしない限り、「ある条件」のもとでの成功率はどこの施設でもほぼ同じであり、成功率を裏付ける「ある条件」とはどんなものなのでしょうか? 
 
施設外のサポート・グループがあること
これらの条件の中で最も重要なものは、次のような質問に答えるものです。「回復途上の依存者が、施設から卒業する時どんなことが待ち受けているか?」。本当の回復というものは、施設を出てから始まる。そのため、依存者が後戻りしないようにサポートするアフターケア・プログラムが施設とは別なものとしてなければならない。薬という松葉杖を使わずに、彼らがはじめて自分達の人生に立ち向かう時、彼らを助けるサポート・グループが必要である。
NA(NAのないところではAA)がなければ、ダルクの回復プログラムは、ほとんど意味を持ちません。ダルクの目的は、薬を使わずに有益な人生を始めようとする人や、薬や薬の世界から自分を切り離すためにやって来た新しい薬物依存者を手助けすることである。この最初の期間を「禁薬」とか「断薬」の期間と呼んでも良いでしょう(最初の期間で新しく来た薬物依存者は、ダルクの職員が彼を薬から遠ざけようとしていることを感じる。けれどもこの段階で動機づけが内面化されたとは、まだ言えない)。
もしも、ダルクの目的が薬をやめさせることであるのなら、NAの目的はグループの中でクリーンを続けられるように一人一人を援助すること。何故なら、皆クリーンでありたいと望み、社会に役立つ人間として成熟し、成長し続けたいと望んでいる。
 
動機づけること
ダルクのような施設における二つ目の条件あるいは目的とは、動機づけること。ダルクの務めは、クライエントが薬をやめ、NAにつながり、毎日ミーティングに出るよう動機づけること。動機づける方法は、一日三回のミーティングであり、グループを通じて動機づけは強化される。動機づけのaは正直になることであり、bは心を開き続けることであり、cは仲間がやってうまくいったことを自分もやってみること(やる気)。もしも、この動機づけが新しく来た人の心をとらえたならば、施設の役割は90%果たしたことになる。
 
タフ・ラブをもって支えること
施設の役割として三番目に重要なことは、クライアントが良くなって来た時も、情緒的な危機状況に陥った時も、カウンセラーとグループが励まし、精神的にサポートすること。ただ十分に注意しておかねばならないこともある。それは、新しく来た人がカウンセラーや他のメンバーに情緒的に依存しすぎないようにすること。これはダルク・プログラムの中でも二つの最も難しいものの内の一つだ。
それは「タフ・ラブ」と呼ばれている。ダルクでは、クライアントの責任を引き受けたりはしない。そのためクライアントは、自分自身の行動に責任を持たなければならない。これは自分の行動がその先どうなるかを考えるトレーニングのことであり、一人のクライエントが、ダルクにいる間にもとの悪い状態に戻り、薬の影響で警察に捕まったりしたとしても、ダルクのスタッフは保釈金を積んでその人を警察から出してあげたりはしない。クライエントの家族はそうしたことを何度もしてきた。でも、依存者に薬を断念させる上でそうしたことは何の役にも立たなかった。事実、保釈してもらうために動くことは、その人に薬を使ってもいいのだという考えをもっと強めさせることになる。彼は、自分の家族が自分の世話をするのが当然だと考えるようになり、自分が依存のために起こしたどんなトラブルでも、家族がみんな尻拭いしてくれるものだと信じるようになっていく。ダルクは、クライエントの借金についても尻拭いをしない。それは、個人の責任だと考えるからです。毎日ビギナーは、夕食の費用とミーティングに行くための交通費、それにタバコ代、NAミーティングでの献金代、その他個人的に必要だと認められた一定の金額だけを渡される。もし、例えば誰かがパチンコにその日の夕食代まで使い果たしてしまったとしても、カウンセラーはその人に改めて食事代を渡したりはしない。そのため彼は、空腹に耐えるか、もしくは食べ物を得る別の方法を自分で考え出さねばならない。かつてはこうしたことも時々あり、ビギナーは自分自身で責任を取ることを学び、自分の行動がこの先どうなるかを考えることを学んだ。
 
ルールは少ないこと
すぐれた薬物依存者のための施設において四番目に重要な原則は、「ルールは少ない方がいい」ということ。ダルクのポリシーの中で、このことが一番厳しいことだと、ダルクのクライエントのほとんど全員が感じている。ほとんどルールのない中で、ビギナー達は自ら決断しなければならない。カウンセラーやしばらく前からそこにいるメンバーからの提案はあっても、ほとんどルールというものはない。現に、ダルクにはたった一つのルールしかない。それは、「毎日三回のグループ・ミーティングに出ること」。仲間でない人にとって、薬物を手に入れないためのルールがないというのは、大変理解し難いことである。スタッフは、依存者が薬を手に入れようとしたらどんなことをしてでも手に入れるだろうし、だからこそ自分達はそうしたことに無力なのだということを彼らの体験の中から学んでいる。彼らは「禁薬」(あなたは、決して薬を使ってはいけない!)では薬をやめ続けることが出来ないことも知っている。たとえ薬を使っていても、ミーティングに参加することはできる。しかし、彼がその使い方をコントロールできなくなった時には、ミーティングに行こうとしなくなるばかりか、ダルクからも姿を消してしまう。こうしたことが起きても、ダルクのスタッフは本人を捜しに行ったりはしない。多くの場合、結局また戻って来ることになる。例えば、警察官に連れてこられたり、あるいは埃にまみれ、切り傷をつくり、衣服を裂き、悔恨の情や尻込みしたい気持ちを伴いながら、彼らは街角から戻ってくる。あるいは、刑務所で数カ月を送った後戻ってくる人もいる。それでもダルクのカウンセラー達は、叱ることもしなければ、罰することもしない。もとの悪い状態に戻ったのは「悪い子」だからではなく、「病気がさせたこと」だから。こうしたことも、仲間でない人達から見ると、確かに奇妙に見える。もとの悪い状態に戻ったビギナーの苦しみを見るのは痛々しいことですが、カウンセラーたちはこのような個人のリラプスをむしろ幸いなこととして見ている。何故なら、リラプスが多分その人の回復にとって、価値のあるものになるだろうということを知っている。ダルクにいるビギナーの中で、一回しかリラプスしたことのない人というのはあまりいない。こうしたケースに対して我々は「治療的リラプス」といった表現を用いている。リラプスは、ビギナーに実存感と目の覚めるような経験を与えてくれる。本当に彼は「依存に対して無力であり生きていくことがどうにもならなくなった」のだ。多くの場合、このことが彼らにとってターニング・ポイントになっている。もとの悪い状態に戻った依存者がもう一度やってきた時、彼は甘やかされたり、慰められたりすることはないが、愛されたり、時には抱き締められたりすることはある。もとの悪い状態に戻った人が行く場を無くしてしまった時、彼は自分で奮い起こせる限りの勇気を奮い起こして戻ってくる。彼がダルクの玄関に足を踏み入れた時、誰もが自発的に歓迎の拍手をし、理解に満ちた笑い声の中に彼を迎え入れる。このような苦しんでいる仲間に愛情表現することにグループの喜びがある。彼が戻ってきた喜びは、他の仲間にもトライする気持ちを起こさせる。挫折した仲間を見て、みんなは「はじめてここに来た時の自分のようだ」と感じる。戻ってきた苦しみの一方で、すぐに彼は自分を理解している友達が自分を取り囲んでくれていることを知り、ほっと安心する。このシーンは、新約聖書(ルカ伝15章11~32節)にある「放蕩息子」の完全な再現となっている。彼らの友達が戻って来たという喜び以上に、誰もが自分の現在の状態に対して生き生きとした教訓を得る。即ち、「もし私が薬を使ったら、これが私の姿なのだ」と。1人がもとの悪い状態に戻ったりするのは、そのグループにとって大変治療的なこと。

3.      病気としての一面もある薬物事犯者をどのように取り扱うのか
薬物依存を簡単に表現すれば、気分の変わる薬物(アルコールを含む)を使い続けることやリスクを負って報酬を獲得する行動を繰り返すことを、依存症(精神的・身体的に使わずにいられない状態がある)という。多くの依存症者は「いつでも止められる」、「自分は大丈夫」、「自分は依存症じゃない」と自分を過信してさらに依存症が進行していくことになる。誰しも自ら使うのだが依存症者になりたくて依存症者になる者はいない。
これは、糖尿病や高血圧症などの慢性疾患と同じような経過をたどる。時間をかけて発症し、治療にも長期間を要する。また、完治も難しく再発を繰り返しやすいのが慢性疾患である。 

(図1)
(1)   JAMA(2000).Drugdependence,achronicmedicalillness:implicationsfortreatment,insurance,andoutcomesevaluation.McLellanAT1,LewisDC,O'BrienCP,KleberHD.284(13):1689-95.

一般的には薬物依存症者は意志が弱くだらしない者と思われているが、(図1)のように、薬物依存とその他の慢性疾患の再発率を比べたものがある。薬物依存が40%~60%の再発率だが、他の慢性疾患も同じようなものである。もし、糖尿病患者が再発を経験し悪化した時に、そのことに腹を立て責めるだろうか?家族や医療関係者は心配して食事の管理や健康管理に協力や治療支援を惜しまないだろう。
実際のところ、依存症に対する誤解と偏見が治療の場や回復資源の設置を遅らせている。よって、回復していくための資源にアクセスも悪く結果、病気を進行させてしまい、薬物依存症は治らないなどと言われることとなっている。もう少し治療の場や回復資源が身近にありアクセスしやすければ、多くが依存症を進行させることなく回復に向かうだろう。このように、依存症は脳や心の病気である。その人や意思や性格上の問題ではないのである。
アディクション(嗜癖)の反対は正常や健康ではない。アディクションの反対はコネクション(つながり)なのです。薬物を使う事自体が不健康なつながりだといえます。また、幼少期からの家族や友人とのつながりの希薄さなどの体験を持つ人の中に薬物使用や嗜癖行動に向かう人も少なくありません。アディクティブな行動がさらに不健康な状態へと向かわせます。夢や希望、生きる力までも失っていくのです。このアディクションからの回復には、コネクション(つながり)が重要な要素なのです。
ただ、薬物使用は犯罪でもあり、逮捕は薬物をやめるきっかけにもなっているが、現在のような懲役刑による罰を与えることは問題解決の最善の方法ではないと思われる。また、刑務所処遇そのものには十分な効果がないと考える。受刑中の処遇より、受刑中に社会にいる健康的なつながりとのやり取りにおいて再犯リスクを下げていると考える。実際、執行猶予判決を受けた者のうち監督誓約者がある者は、監督誓約者がいない者より約1.5倍再犯率が低いとされている。このため、受刑で再犯を防げているというよりは、事件発覚後に隠されていたことが裁判等であからさまになり、弁護士、家族、友人、雇用主などが、その問題と向き合い一緒になって解決を考え行動する。また、新たにダルクや福祉関係者などと出会うなどして、新しい生き方を見つけられた人が再犯をせず暮らせているのではないかと思われる。
刑務所での度重なる受刑生活で受刑者同士による情報交換や更なる犯罪や手口を覚え、不良関係が広がり、社会での健康なつながりが絶たれて社会性も失われていく。受刑を繰り返すほど再入所率は上がっている。非刑罰化ということで、医療や福祉、社会保障制度などを使い、薬物を使わずに生活していける居場所と役割を社会のシステムとして作っていけばよいのではないか。ダルクでも似たような良くない関係もできることもあるが、大きな違いは薬物依存回復者がおり、回復を導いてくれるということである。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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