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不安、思い込みから自分を解き放とう!(前編)

 自分が心から望んでいることは、「必ず叶う!」と直感的に私は知っています。だから、なかなか望みが叶わないなと感じる時は、「これ、本当に私望んでることなの?」と一度自分に問いかけてみることをオススメします。

本音で生きるのが、怖い

 実は、私、「心から人を信じることが出来ない。」と悩んだり、「本音を伝えることがとても億劫」な自分でした。

本音を伝えることに億劫になってしまうのは、本音を伝えて人から嫌われたり、避難されることを必要以上に恐れていたんです。ある意味、全員にとって、「良い人」と思われたかった。でもね、全員にとっての「良い人」って、本当の意味での「良い人」ではなく、「都合の良い人」になってしまうのだ、と最近気付きました。(汗)

 その根幹にある過去の経験や思い込みを丁寧に丁寧に紐解いていくと、母親との関係に根っこがありました。誤解のないように断っておくと、私は母のことが好きだし、一緒に買い物にいったり、話し相手になって貰ったりとそれなりに関係は良好なのです。

不安の根幹にあった、「母との関係」

 25歳の時、「私には生きている意味がないんじゃないか。」と思う程、当時の私にとって辛い、ショックな出来事がありました。(話の本筋から逸れてしまうので、その経験についてはまた別の機会に書きますね。)その時、私はとても母のことが恨めしかったと言いますか、母の育て方にイラッとしたんです。今となっては、母は母の最善を尽くしてくれたし、彼女の育った環境の影響を母は母で背負って「自分なりの正しい」を私に教えてくれたのだ、と思えます。

 でも当時の私は、「どうして、お母さんは、正解に最短でたどり着くことばかりを押し付けて、私に失敗する機会をこれまでくれなかったのだろう。」「お陰で、失敗をどうハンドルして、どう立ち直ったら良いのか、自分で自分の選択に責任を取る方法が全然いい歳して分からないじゃないか。」と物凄く母に対して憤りを感じていました。

 また、いつもいつも、苦労や不安の先取りを勝手にして、私の意思を確認することもなく、押し付けてくることにも、振り返って、腹が立ちました。

例えば、私の幼少期の習い事についてですが、金槌で小学校の授業で恥をかいたと、水泳教室に入れられました。私は、水が怖くて怖くて嫌だったのに、泣きながら無理やり水に顔を突っ込まれ、水泳教室の授業に通わされました。結果的には小学6年生まで、選手コースに通うこととなり、そこそこのレベルまで行った所で、中学校の部活を優先したため、辞めました。母が成績の悪かった図工・美術、こちらも小学生の頃、近所の美術教室に勝手に申し込みをされて、通うことになりました。このように、習い事は、全部母が苦手で困ったことばかり、自らの意思でこれを習いたいと言った習い事は1つもありません。今思えば、「やりたくない」と意思表示しなかった自分の責任も一部あるのですが…。

 加えて、それ以上にもっと嫌だったことは、成績、テストの点数、習い事の昇級試験、洋服のコーディネートなど、いつも結果を見て真っ先に言われるのは、「どうして〇〇出来なかったの?」とか、「〇〇はもっと改善できるようね?」というダメ出しばかり。こんな経験を重ねてきた私は、「完璧な自分でないと他人からは愛されない。」、「人は条件付きでないと自分を愛してくれないのか」という思い込みを信じるようになっていきました。だから、いつも「もっと会社で評価されるように〇〇のスキルをつけなくちゃ、勉強しなくちゃ。」とか、「人の役に立てる自分でいなくちゃ」と際限のない、「自分改善病」・「自己啓発病」にかかっていました。そして、自分にも人にも完璧主義を押し付けていたと思います。この自分改善病、自己啓発病は決して悪い面だけではなく、当時、「なりたい私」に近く原動力とエネルギーをくれたものでもあります。

 だけど、ある時から、「外からの評価ばかり求めている限り、私はいつまでたっても幸せになれない。」と気付くことになります。そこから、漸く、私の「自分の物差し」を取り戻す旅が始まりました。この道のりも決して平坦ではありませんでした。

まだ道半ばですが、「もう、大丈夫!」と自分で思えるまで、10年近くかかりました。長過ぎだろう!と突っ込みたくなる方もいらっしゃるかもしれません。確かにその通りです。

だけど、今既に30年以上生きていて、そのうちの25年間もずっと身近に置いていた思い込みですから、25年間一緒に生きてきた分身をアップデートするのは、1日、2日でできるものではないのです。当然、「アップデートできた!」、「手放した!」と思っても、予期せぬ揺り戻しにあうこともあります。長年共に過ごしてきた思い込みとのお別れは、螺旋階段を少しずつ登っていくようなものだと、私自身の経験から感じています。氷一杯のプールに勇気を持って飛び込むという一瞬の勇気だけではリバウンドのない、真の変化はないのです。

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