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人は平等ではないけど、大人になれば人生はつくれる


人の役に立てる人になりたい、喜んでもらえることをしたい。

そんなことを思う今、きっと私は誰かにとって順風満帆な人生を送ってるように見えるんだろうな。

かくいう私もそうだった。
心に余裕がある人は家庭が円満な人で恵まれてる人なんだろうなと。
自覚はないけど振り返れば24歳くらいまでは思ってたんじゃないかな。

そんな私が変われたのは、結論から言うと環境を変えたから。
なぜそう至ったのか、どういう状態から変わったのか、そんな話を少しだけさせてください。



不幸自慢なんて、比較する対象によって客観的に見ると千差万別だし、苦労した過去を振り返るか、上手くいった過去を覚えてるかで異なるのは大前提として。


それでも、
・家賃月1万ちょっとで住める県営住宅で幼少期から住んでいて、大学からは実家がなくなった
・家賃安いのに常にお金がないという家庭(本当にないかは知らないけど高校から奨学金借りてる)
・中学から母子家庭
・父の浮気が原因なのに途中から養育費放棄して新しい家庭を優先、自営業のためこちらから差し押さえもできない
・小さい頃からのお年玉貯金は父に盗られる
・大学はお金がないため成績優秀者で入れる場所を選び、入学金と1年目の学費免除の大学へ
・生活費まで賄えないので最初ならフルタイムバイトで生活する
・そして2〜4回生は奨学金マックスで借りてるのに在学中2回も除籍通知届く
・母、引き寄せの法則にどハマりし、まともに働かず私の学費を生活費使ってたこと発覚
・なんとかお金を工面し、気づいたら利子合わせて奨学金1,000万円に
・就職の条件は「稼げる会社」一択に


ほんの一部だけど、こうやって書いてみると個人的には苦労したなあと思う人生かも。


もっともっと苦労してる人はいると思うけど、私よりはまだ苦労が少ないと思ってくれる人が今楽しい人生を生きていないなら、このあとの内容を見てもらえると今後の生き方が変わるかも。

私より苦労してる人も、少しでも考え方が変わればラクに生きれるかも。

そうなればいいなと思って書きます。


タイトルは最近読んだ「苦しかったときの話をしようか」という本の内容から。
資本主義の世の中は基本的にサラリーマンか資本家で分けられてるとのこと。

お金に働かされるサラリーマンか、お金を働かせる資本家か。

家庭によってその人の人生は大体決まる。
だからこそ、人生は平等ではないと。


そういう話で言えば我が家は資本家ではない。
自営業一家ではあるが、みな借金に苦労している。

資本家になれるのに、サラリーマンのように生きる家庭。
多分大学は卒業してないと思う。行っても専門学校だったかと。
大卒だとしても23歳同士で結婚してるから、会社員として人生を捧げた時間は少ないと思う。

だから教養もお金もあると言い切れる両親ではなかったし、家の中はいつもごちゃごちゃしていた。
親を見て育ち、環境が自分を形成するなら、そのとき私が「家族で海外旅行に行ってきた」という友人を羨ましがるのは当たり前だ。

我が家は小学生頃から両親がいつも喧嘩していて、父は暴力で解決する人だったから、「家族仲良く」から羨ましかった。


新社会人になるくらいまでは、恵まれた人に対して劣等感を知らないうちに感じていたと思う。


「稼ぎたい」の思いの強さから大手から6社ほど内定もらえたけど、わたしの大学はそこまで賢い大学ではないからか、学校名を言い訳にして内定もらえなかった友人は就職浪人した。

それも、お金があるから浪人できるんだなと思った。

私には学費と生活費で精一杯だから、そんなこと考える余裕すらもなかった。

同時期くらいに弟も高校浪人していて、働いてない母がどうやってお金を作り出してるのかちゃんと聞かなかった私も悪いが、私の奨学金で生活していたから、「お金があるから浪人する」という思い込みは立派に形成された。

だから、その頃の私にはとうてい「誰かの役に立ちたい」「人を喜ばせたい」という気持ちは今ほどない。

大学からお金のためにはじめた接客業が楽しくて、目の前のお客さんを喜ばせたいと思える経験ができたのは本当に良かった。


振り返った人生でわたしが思う苦労話はここまでにして、今のわたしは過去の「よかったこと」に目を向けてるから、自分の生を授けてくれた両親、祖父母、ご先祖様には感謝しかない。

とくに、「人と役に立ちたい、喜ばせたい」と思えるのは父方の祖母のそばで育ったおかげだ。
二世帯ではないけど近くに住んでいたので頻繁に会っていた祖母。
私は彼女のおかげで今の私があると思っている。

だから、祖母のそばで子育てをしてくれた愛知が実家の母にも、そんな祖母を持つ父から生まれたことも、そこから感謝している。
愛知にいる母方の祖母は人を貶したり悪口言ったりする人だったから、本当に愛媛で育ってよかった。



「お姉ちゃんだから」と言われ育った私は、弟の暴力よりも私の態度を怒る周りに嫌気がさして中学から弟とは口を聞いてない。今も連絡先は知らない。
でも、よくよく考えれば、習いたいと思ったピアノや塾や水泳や空手は全部やらせてもらえた。

「お金がない」とよく聞かされてたから、記憶にない諦めたこともあるかもしれないが、「できた」に目を向けると私はいろんなことはさせてもらえた。

もしかしたら弟はその分諦めた部分があったかもしれない。

今となっては「かもしれない」しか考えられないけど、そう思えたほうが自分が幸せなのでそう思う。

弟だけじゃなくて私も大事にされていたなと思えるから。

言葉では姉差別があっても、行動としてきっと優遇されていたと思う。

そしてそんな環境だったからこそ私は今の自分が好きでいられるんだと思うし、変われたのだと思う。


多分、大きなきっかけは大手の会社を辞めて、ただただ「モンサンミッシェルをみたい」という夢を叶えるために行動したこと。


詳しい内容はこちら

https://note.com/top_project/n/n929bee744181?sub_rt=share_b


あのときに私の人生は私がつくれると自覚できたんだと思う。


家庭環境は選べなかったけど、私が私自身の人生を歩み、はじめて変わるきっかけを得られた。

23歳のスタート。
そこから少しずつ変わった。
毎回同じなのは手っ取り早く環境を変えること。


愛媛で育った私は大学から神戸にきたことで、就職先でも神戸に固執していたけれど、辞めたきっかけで大阪に住むことに。

その後いまの夫に出会い明石に、そして大阪へ。

去年から福岡へ移住、そして来月はニュージーランドにいく。

行動が私の居場所を変えてくれたおかげで、私はいろんなご縁をいただけた。
だからこそ30歳になったときに心から「人の役に立てる人になりたい、喜ばれる人になりたい」と思った。

自分が新しく出会った人たちのおかげで人生を楽しいと思えたし、自分を好きになれたし、できることが広がったから。


あのとき仕事も家も手放さなかったらきっと今のわたしはない、そんな気づきもない。
それは私の両親を見ていたらわかる。
何歳になってもそのタイミングがない限りは、そんなきっかけなんてないし気づきもない。

彼らは彼らの人生で気づきやご縁がありそこに満足しているのだろう。
私はもっと広げたいと思う。できることを知ってしまったから。

この記事を見た人が今何歳かわからないけれど、もし自分の人生を環境や家族、仕事、過去も含めて、何かのせいで満足していないなら、「何かのおかげで」楽しい人生を歩んでもらいたいと思う。


過去なんて気にしたらキリがない。
どこに焦点をあてるかで、捉え方は変わる。

変えられるのは今と未来だけ。

人生のスタートは平等ではないけれど、大人になれば変えられる。

もっと早く気づけるなら、学生の時だって進路から変えられる。
親に言われた場所にしか進学できないなら、行きたい他の学校に行く方法を探したり、指定した学校に行った先は変えられる。


とりあえず、自分の意思でお金が稼げるならいつだって変えられると思う。
綺麗事をいうなら、お金がなくたってご縁があれば人生は変えられる。

新卒の会社を辞めた後に転がり込んだ家はそのとき付き合っていた「父に似てるところがありすぎて結婚が考えられなかった彼氏」だったから。笑
そういうご縁だってある。

今のわたしも夫のサポートあってこその自由を得られている部分もあるけど、なかったらなかったできっと別の楽しい人生を生きてると確信してる。

それは考え方が周りの人たちのおかげで変われたから。



ここで書きたいのは考え方を変えようって話じゃなくて、何か変えたいならまずは環境を変える提案です。

海外に行けとかではなくても、日本にいれば別の県に移動することはそんなに難しいことじゃない。

リゾートバイトだってあるくらいなんだから、思い立ったら全国津々浦々と住むことできると思う。
やったことないからわからないけれど、環境を変える方法はひとつじゃない。


記事のタイトルにした本にも書いていた。

コントロールできる変数は、
①己の特徴の理解
②それを磨く努力
③環境の選択
最初からこの3つしかない、と。

全部自分の意志でできることだ。

わたしにとってその中で1番手っ取り早くできたのが③だっただけだから、他のことからできるならそれでも良い。


自分の人生は自分でつくろう。





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