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銃剣道の冥府

1 はじめに

 自衛隊で働くと銃剣道は必ずついてまわりました。

 銃剣道は、日本軍時代から続く武道・格闘技です。剣道風の防具(用具)をつけて、歩兵中を模した木銃を使ってポイントを競う競技です。

 自衛隊では銃剣道の訓練や大会、競技会が常に行われており、各部隊はよい成績をとるために練習に取り組みます。


 幹部候補生枠として入隊すると、まず幹部候補生学校に入校します。学校は奈良県にあり、部外出身者(防衛大や曹出身でない、一般大学出身者)は、1年弱教育を受けます。

 教育カリキュラムは年々変わっているようですが、わたしが入ったときは、武道として柔道、剣道、銃剣道から1つを選択しました。

 この時は、元々打撃をやっていたこともあり、柔道を選びました。銃剣道については、体育館の練習時、となりでバタバタやっているという印象でした。


2 銃剣道の指揮官にさせられた

 教育機関を出ると、航空自衛隊の基地やレーダーサイトに配置されます。わたしは北海道のとあるレーダーサイトの班長に上番しました。

 自衛隊では、部隊――レーダーサイトの部隊、基地の部隊等――ごとに銃剣道訓練を行い、年1回あるいは数年に1回の大会に出場し戦います。

 はじめに各地方(方面という)ごとに大会をやり、勝ったチームが全国大会に出場します。


 各部隊の銃剣道チームの訓練は、新人や下級の幹部が担当します。

 わたしも、新人の幹部(管理職)ということで、銃剣道訓練チームの指揮官に指名されました。

 わたしが配置されたのは、レーダーと無線機の整備を担当する部署の班長ですが、この日から朝9時から夕方4時まで体育館にこもるようになりました。

 本来の仕事は、上司や担当の隊員が全部やってくれたので、わたしは1日中体育館で練習を監督しました。

 これでいいのか、と思いましたが、銃剣道チーム以外も、何もないときは皆でソフトバレーボールやスキーで遊んでいたので、ゆとりはあるようでした。

 ただし、自衛隊の仕事は不均衡なので、わたしのいるレーダー・無線機部署は余裕がありましたが、そうでない部署もありました。


 警戒管制を担当する部署は、非常に規律が厳しいので毎年新人が辞めていました。毎朝6時におきて掃除、ゴミ出し、コーヒー淹れをしなければならず、因縁をつけられると外出禁止、ゲーム機取り上げ等になります。シフト勤務の場合は、毎朝ポリッシャーをかけます。勤務が終わっても営内(寝泊まりする棟)であれこれ指導やしばきがあるので、人が定着しません。

 

 会計部署は、少ない人数でお金の計算をしており、毎日12時近くまでパソコンに向かい合っていました。

 わたしがパソコンのヘルプデスク的な仕事も担当していたので、会計部署にはよく呼ばれました。

 オフィスに入ると、死んだ目をしたおじさんと未成年の若い隊員たちが、パソコンでお金の計算? をしていました。

 会計班長が、若い隊員を呼び出しました。

「この書類。これ何なの。でたらめなんだけど」

「……」

「何回言ったらわかるのかなあ。怒られないようにすることしか頭にないから、こういう書類を持ってくるんだよ」

「はい」

 という、死んだ会話がいつも行われていました。

 さらに、仕事内容が給与の計算や各種手当の手続きということで、誇り高い職種の人びと(警戒管制等)からは一等下に見られていました。

 この部署も、よく人が辞めていました。


3 練習

 銃剣道の練習は、以下のような流れです。

・体育館に集合

・準備運動

・ジョギング・アップ

・着替えて用具(面、胴、小手)をつける

・素振りや動作練習

・打ち込み


 用具と銃剣道衣(剣道とほぼ一緒)は、合計15万以上します。銃剣道チームに送り込まれる新人は、まず半強制的にこの装備を買わされます。兵隊の初任給は非常に安いので、厚生課で用具を買うためのローンを組まされます。

 銃剣道の道具を売っている店は、北海道を独占しているとのことでした。毎年北海道で膨大な新兵が配属されますが、かれら皆に用具を売れば相当な売り上げになったのではないでしょうか。

 これは伝聞なので、正確なことはわかりません。

 ただ、基本的に銃剣道チームに入ると自腹で用具を買わされます。わたしは、幹部であり長期間銃剣道はやらないこと、妻の許可がもらえなかったことを楯に全力で拒否しました。そのため、体育館のステージ下に埋まっている古い用具を使いました。


 練習は一般的な部活動とそう変わりませんでした。

 指揮官といっても、実際に練習を主導するのはベテランの選手なので、わたしは一緒に面をつけて参加し、けが人の管理等をするくらいでした。


4 銃剣道の意義

 わたしは格闘技が好きだったこともあって、銃剣道の練習をすること自体は特に苦痛ではありませんでいた。

 しかし、税金でこれをやってていいのだろうか、もっと優先順位の高い事項があるのではないか、と思うことはよくありました。

 隊員100人規模のわたしの部隊では、年間を通して10人から15人が銃剣道訓練で不在になっていました。

 また訓練のために出張費や大会運営費用が使われていましたが、他に使うところがあったのではないかと感じます。


 銃剣道の位置づけは、わたしが働いていた当時は体育種目で、ジョギングやバレーボールと同じです。

 よって、よくいわれる白兵戦のための種目ではありません。

 また、ルールも徐々に変化してきたようで、よりスポーツに近くなり、実際の銃剣の使い方とは遠くなっています。

 使っている木銃は三八式歩兵小銃を模したもので、現在使っている銃とは違います。

 技についても、特定の部位を突いて奇声をあげなければポイントが入らないため、実際の白兵戦とは異質です。


 昔、茨城県の予科練記念館を訪問したときに、日本軍の銃剣道訓練風景が展示してあるのを見つけました。キャプションには、「現在の銃剣道よりも実戦的な訓練が行われていました」と書いてありました。

 当時の日本軍よりも非実用的な訓練をしている余裕はあるのだろうか、と思いました。

 その当時の日本軍も、銃剣道に染まっていない米兵によく負けていたということです。


 銃剣道で「直突」しかやっていないため、捕虜との競技会では良く負けた。突撃を渋り、白兵戦を恐れる傾向が強い。 (『日本軍と日本兵』一ノ瀬俊也)


 銃剣道大会に向けた訓練では、合宿といって他の基地に出張して訓練します。

 他の基地に行くと、普段の業務からは完全に切り離されるため、練習以外やることはありません。

 何をするかというと、5時に練習が終わると皆で街に出てパチンコ屋に行き、夜は居酒屋やスナックに集合します。

 ここで、くだをまくコーチやベテラン選手から銃剣道指導、説教を受けます。

 割りばしを銃剣に見立てて、戦術についての教育が行われます。

 北海道の地方は漁師なども多いので、よくトラブルやもみ合いになりました。

 夜中にタクシーで基地に戻り、毎朝、二日酔いで吐きながら練習をしました。試合形式の練習をすると頭や胃にひびくので、よく面を外して吐く人が散見されました。


 銃剣道訓練や大会は部活のような雰囲気でおもしろかったですが、もしわたしが偉くなっていたら銃剣道は廃止、あるいは同好会の位置づけに変えていたと思います。

 その金で、射撃訓練の数を増やすか、ベトナム戦争時代の銃を更新するか、隊員の給料を増やします。



 

 

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