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祖母のきんぴらを追いかけて

突然だが、私の母方の祖母が作るきんぴらごぼうは美味い。
祖父に先立たれ独り身となって10年以上。御年90を過ぎた祖母である。
私の実家のある北海道の田舎町で、古い一軒家を引き払って高齢者住宅へ入居し、長年使い慣れたガスレンジからIHクッキングヒーターへの変化にも軽やかに適応して、祖母は得意の料理を作り続けている。
毎年暮れが押し迫ると、仕事で忙しい娘(私の母や叔母たち)のために、正月料理をたくさん作って届けてくれる。
どれもとても美味しいのだが、特にきんぴらごぼうが絶品なのだ。

別に、年始のごちそうだからといって、特別な材料が入っているわけではない。ごぼうと人参、鷹の爪だけのごくシンプルなきんぴらだ。味付けもごく一般的な甘辛い醤油味。でも、祖母が作るきんぴらは歯ごたえがぱりぱりと爽やかで、塩加減も甘さもほどよく、いくら食べても食べ飽きないのだ。
私も主婦歴ははや十数年、きんぴらごぼうも大好きでよく作るのだが、祖母の味には到底及ばない。
この年末年始、実家に帰省して久しぶりに祖母の味に触れ、元気とはいえやはり90代、年齢なりに衰えも見える祖母と話していて、「どうにかこの味を引き継がなくては」と焦りを覚えた。そこで祖母に頼んで作り方を一から説明してもらったのだ。本当ならば、祖母が実際に料理するところを横で見ながら習えれば一番良かったのだが、時間の制約もあって叶わなかった。
改めて、おばあちゃんのきんぴらの作り方を教えて欲しい、と頼むと祖母は、
「ええ~、何にも特別なことはしてないよ」と激しく照れながら、まんざらではなさそうだった。このへんが可愛い人である。

さて、雪の北海道に別れを告げ、年始早々に千葉に帰ってきた私は、荷ほどきもそこそこに、早速祖母レシピによるきんぴらごぼう作りにとりかかった。
一度にたっぷりと作ったほうが美味しくできるそうなので、ゴボウは新鮮で、しっかりした太目のものを2本用意した。人参は中くらいのものを1本。
まず、ゴボウはたわしで土を洗い流し、表面の皮を包丁の背で軽くこそげて皮を剝く。ここまではいつもの私の手順とも一緒だ。
次に切り方だが、ここがポイントだ。祖母曰く、
「まず包丁研ぐのね。うんと切れる包丁でないと美味しくない」
とのこと。教えに従い、砥石でごりごりと包丁を研ぐ。
千切りのゴボウのエッジが立つほど切れないといけない。キンキンのピラッピラに切るからきんぴらと言うのだ。嘘だ。しかしそのくらいの鬼気迫る気持ちで切るべきである。
切り方は、丸のままのゴボウを、6~7センチほどの斜め薄切りにしていく。厚みは可能な限り薄く。
斜め切りにしたゴボウを揃え、これもまた可能な限りに細く千切りにしていく。にんじんも同じように切っておく。
さらにここから、祖母から衝撃のポイントが教授されていた。
「切ったらゴボウを水にさらすのね。水を何回か換えながら、2時間くらい

2時間????

令和のこの時代、レシピサイトを検索しても、料理本を開いてみてもたいてい、「ゴボウは水にさらしすぎると風味が抜けるので気を付けましょう」と書いてある。
「ゴボウのアクはポリフェノールで健康効果があるので、水には一切さらさなくてOK」と書いている料理研究家さえいる。
ゴボウに限らず、切った野菜をやたらと水にさらすのは、さまざまな栄養素が流出してもったいない、というのが最近の家庭料理界隈の常識である。

しかし、ここはやはり、祖母の言う通りにするべきだろう。2時間という長さに合理的な理由があるのかは定かではないが、まずは祖母のレシピを忠実に守って作ってみることにする。もしかして、ゴボウが水を吸って、あの独特のパリッとした食感になるのかもしれない。栄養素のことを考えると、さらし時間を短縮してみてもいいが、それもまずは祖母の味を完璧に再現できるようになってからだ。

そんなわけでおっかなびっくり、刻んだゴボウを2時間、冷たい水にさらした。途中で2回ほど水を換えた。
人参も刻み、ゴボウの水けをよく切って、種を取った鷹の爪とともに、フライパンにサラダオイルを熱して炒めはじめる。
野菜に火が通ったら、みりん、砂糖、しょうゆと、祖母秘伝の隠し味、顆粒のほんだしをスプーンに軽く一杯。
全体に味がまわったら、仕上げにごま油をひと回しして混ぜ、祖母レシピのきんぴらごぼうが完成である。

出来上がりは上々に見えた。少なくとも見た目は、祖母のつくったものと瓜二つだった。
ドキドキしながら一口味見をして、私はがっくりと肩を落とした。

祖母の味とは違う。

手順は忠実に守ったつもりだ。調味料も、祖母は特別なメーカーのものは使っていない。
今まで私が作ったきんぴらごぼうよりは、遥かに美味しく、歯ごたえよく作ることができた。それでもやっぱり、祖母の作るあの、噛んだ歯が喜ぶような軽やかな歯ごたえと、完璧な味のバランスには届かないのであった。

その日の夕食に出したきんぴらごぼうは、「充分美味しいよ!」と家族には好評だった。
そう、今までの自己流のきんぴらから一歩前進したのは確かなのだ。ただ、やはり90過ぎの祖母の年季の入った腕前を、若造が一朝一夕に真似できると思ったのが間違いだったのだ。
ほろ苦い思いを抱きながら、鍋にまだたっぷり残ったきんぴらごぼうを、作り置きとして保存容器に入れて冷蔵庫に仕舞った。これが一昨日のことである。

つい先ほど、小腹がすいて冷蔵庫からきんぴらごぼうを取り出し、一口ほおばって驚いた。
(…美味しくなってる…?)

作ってから冷蔵庫で保存して丸二日。そのあいだにきんぴらは、全体に味がなじんで塩味のトゲが丸くなり、こころなしか歯ごたえもよりパリっとしている気がする。
そういえば、と思い至った。
実家で食べるきんぴらごぼうは、いつも祖母が前日か、その前の日に作っておいて、寒い部屋(といっても北海道なので、室内でも暖房を付けなければ冷蔵庫よりも気温が低い)に保存しておいたものだった。
なるほど、1~2日おいておくことでより味がなじみ、出来立てよりも美味しくなるのだ。
温めなおすとゴボウに火が通ってしまい、食感が悪くなってしまう。
そういえば実家でも、きんぴらごぼうは冷たいまま食べていた。

こうして、祖母のものと全く同じ味とはいかないまでも、かなり近いところまで寄せることができた。
もう一押し、切り方や炒める時間をさらに工夫することで、より祖母の味に近づくことができるだろう。
天啓に撃たれたかのように、私はしばらく茫然とし、そしてこの感動を書き留めておくべくノートPCを開いたのだった。

しかし、軽い気持ちで習った祖母のきんぴらごぼうだが、
・まず包丁を研ぐ
・大量のゴボウを可能な限り細く千切りにする
・水を換えながら2時間さらす
という手間に加え、更に
・2日ほど冷蔵庫で寝かせる
という工程も登場し、実に手間のかかる料理であることが判明した。
「なんでお正月料理にきんぴらごぼうなんだろう…美味しいけど地味だし…」などと疑問に思っていた子供の頃の自分を力いっぱい殴りたい。
きんぴらごぼうは、手間暇がたっぷりかかった、まぎれもないご馳走だったのである。

祖母の正月料理は、きんぴらごぼうの他にも、茶碗蒸しやうま煮(北海道で年始によく作られる甘辛い煮しめ)、紅白なますなど、どれも絶品ぞろいだ。
年末年始の帰省は、スケジュール的にも金銭的にもハードルが高くて毎年は帰れないのだが、また正月に帰省した時には、ぜひ台所に立つ祖母の横で、じっくり教えを請いたいと思っている。
その日までどうか元気でいてほしいと、ぱりぱりと香り高いゴボウを噛み締めながら思う孫娘である。



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