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母との確執

またやってしまった。
母と険悪になってしまった。もう80歳。伴侶を亡くしたばかりの母と
出来れば仲良くしたい。でも、私と母はどうしたって上手くいかない。
あと数年したら流石に母だって元気ではないだろう。
今だって元気というわけではない。
何を言われても、ハハハ・・・と受け流せばいいのだ。
他の兄弟はそうしてる。
なぜ私だけ出来ないのだろうか。一見物腰が柔らかい母だけど、何をいっても文句が返ってくる。
大した内容ではない。ここ数年は病気と歳のせいで可愛いものになっている。それでも私は嫌なのだ。

「次男にLINEを送ったら返事が来たよ。」私がほほ笑むと、母はこう返す。
「あなたに気を遣ってるのね。」
高校生の次男が不登校から引きこもりになり、痩せて小学生のようにガリガリになり、家族全員血を吐く思いで満身創痍で立ち直った経験を持つ私には辛辣な言葉だ。

四年で立ち直り、遠く離れた土地で幸せな学生生活を送る次男。
その全てが奇跡などではなく、努力の結果だ。
私達家族は誰も無傷ではない。
身体にぽっかり空いた空洞から、今でも血が滲むことはある。いつも手で押さえて、何もなかったふりをして、「大丈夫、なんでもない。」と笑うのだ。そして、次男の傷はもう塞がっていてほしいと切実に願う。
だから私は気を遣う。絶対に次男を傷つけないよう、全力で、出来るだけ肯定してあげたいと思う。間違っても、次男に気を遣わせるような母親になりたくない。
その気持ちを他の誰も理解してくれなくていい。
ただ、母には理解してほしいのだ。
「LINEが来たの。そう。良かったね。」と言ってほしいのだ。

母が亡くなる前に、私の気持ちを理解してほしいと思う。
親だから、あの世できっと後悔すると思うのだ。それには、きちんと想いを伝えるしかない。
「お母さんは私に文句を言いたいだけなのよね。お母さんと話してるとリラックスが出来ないんだ・・・。」
だいぶ控えめに事実を伝えてみた。驚いたし、落ち込んだようだ。
でも反省はしない。それが母だ。
母が反省しているところを見たことが無いのだ。
言って何かが改善するなら母子関係も良好になるだろうけど、そうでないなら80のおばあさんにこれ以上は酷なのかもしれない。
母は生まれてこのかた・・・そして最期まで、私の味方にはならない人だ。
静かに立ち上がり、母の住む熱海を後にした。

母との確執は以前はもっと激しいものだった。7.8年前、病気をする前の母は狂ったように干渉してくる人だった。
私は母との関係に悩み続け、いつも不安でいっぱいだった。
こんな子育てはしないと強く反発し、その反面心の中は寂しさで溺れていた。
幼少期に満たされなかった心の空洞を息子たちで埋めようとしていた。
それが息子に影響したのだ。

我が家の嵐は過ぎ去りつつある。
母とは上手くいかないだろうけど、私と旦那と息子達は元気に前を向き、以前よりずっと正常な絆で繋がっている。
少しずつ、我が家を襲った嵐について書いていこうかなと思う。


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