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かたすみの女性史【第2話】壺井栄をナメるなよ !(その6)

壺井栄をナメるなよ !(その6) 栗林佐知

(その5)からつづき

■ 主婦を大事にせよ! というフェミニズム

 当時の女性読者からも指摘があるように、「ミネ」=栄の結婚観は、やはり、今日の私たちの目からも、いかがなものかと思われる。

 小説「妻の座」は、まごうかたなきフェミニズムの叫びだが、壺井栄じしんは、「家族制度は女を不幸にする」といった思想を持っているのではないのだ。

 娘時代、郵便局、村役場に勤めていた栄は、届けられた戸籍とは違う実情を、たくさん見聞したという。
 娘の「私生児」が娘の両親の子として籍に入っていたり、再婚した妻が、軍人だった前夫の遺族年金を受け続けるために、再婚を届け出ず、新たに生まれた子を無戸籍のままにしていたり、という例をみて、栄は「自分の戸籍だけはきれいにしておきたい」と友人への手紙で語っているという(鷺只雄「壺井栄論(5)──未発表の壺井栄と繁治の往復書簡21通翻刻」『都留文科大学研究紀要第38集』1993年3月)。

壺井栄大正14年

郵便局をやめたころ、大正14年の栄

 じっさい、栄は繁治と一緒になると、「アナキスト」だという夫を押し切って、てきぱきと一人で帰郷して手続きし役所に届け出ている。この当時の庶民は「事実婚」がふつうで、子どもができてから届け出を出すのが一般的だったらしいのに。

 おそらく栄は、たくさんの女たちが、夫やその家族のために働き、共に暮らしながら「籍」に入っていなかったために、社会補償制度からふり落とされるのを目の当たりにしていたに違いない。

 “男や家の都合で使い倒され、追い出され、「夫のパートナーとしての権利」も与えられないなんて理不尽すぎる。女はきちんと「妻」にならねば不幸になる”
 これが栄の信念だったのだろう。だからこそ、この小説の題名は「妻の座」なのだ。

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 連載終了の1949年内に出版(冬芽書房)されて版を重ねたこの小説は、多くの読者を共感させ、考えさせ、「妻の座」という言葉は流行語となった。
 こんにちの女性には「妻の座」なんて言葉のどこが新しいのかと首をかしげたくなると思うが、「妻(家制度内で使い捨てにされる嫁)」にも「座(権利)」がある。と栄は訴えたのだ。
 主婦を尊重せよ! と。 

 栄の「戸籍はきれいに」主義には賛成できない立場でありながら、この素朴な「人権意識」に、なにか風通しの良いものを感じてしまうのは、私だけだろうか。

 ここ数年、チョ・ナムジュ/斎藤真理子訳『82年生まれキム・ジヨン』の大ヒットはじめ、フェミニズムの潮流が商業的な勝利をも勝ち取っている。これまでどんなにフェミニストたちが「うるさいヒステリー女」扱いされてきたかを思えば、夢のようだ。うれしい!!!
 だが、同時に少し心配にもなる。
 最近の「フェミニズム」のなかで語られる好ましい女性の姿や、問題意識の持ち方が、少々紋切り型になってはいないかと。
 優秀で自覚的で経済力がある女ばかりでフェミニズムを語り出したら、ちょっとこわいことにならないだろうか。

(その7)へつづく→(また来週~)

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