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【外から見た日本】日本にはワンネスがあるので

日本という土地に産まれた人達の産まれながらの哲学(感覚)と言おうか、またはDNAに入っているという可能性も考えられる

ヨーロッパから日本を見ると、個人主義のこちらに存在しないものが、そこにはある

ワンネス

これは実は正に宇宙の真理。光の国に居る時、私達の魂には、「自分」と「自分以外」という区別がないので、ワンネスの精神は、日本人が光の国から持って来て忘れていない宝物だ

ワンネスがピンと来ない人の為に、ちょっと想像しやすいように説明をすれば、
私の胃や腸や心臓が別々の個を主張せず…私本人から見れば、私の胃も腸も心臓も…全部私である。
私の胃が、「お隣さん(腸)、なんか鼻につくんだよね!だからあの人に不幸が起こればいいのに!」なんて言い出して、本当に私の腸に不幸が起こったら、私の胃にも同時に災難が降りかかる…
こんな感じで、迷惑なあの人も、見ず知らずのどこかの国の大統領も、別の視点から見れば、実は私自身である

「他人にした事が自分に返ってくる」という迷信じみた言葉も、まんざら嘘でも無いと思えてくる

そういうワンネスが日本人の脳のどこかに記憶されている

私が所属する団体は、私の一部であり、   
団体に所属する個である私は、また団体でもある

   

さて、
これは大きな財産であると思うが、使い方が違うとちょっと厄介だ

日本国の状況、改善すべき点や、日本の社会問題、政治問題、国際的な立ち位置などの話が出来ない人が多方で、日本人はディスカッションが出来ない(と日本人たちが自分で言っているわけなのだが)のは、このワンネスのせいだと私は思う

つまり、日本全体の問題を話しているにも関わらず、「私の事を言っている!」とやたら個人的に受け止めて、耳に入れたがらず、「日本はそうじゃない!」と壁を作って話が打ち切りになる
そして、それを話す人は「私を責める悪い人」という結論を出してしまう

または、アングロサクソンやヨーロッパ人が優っていると思い込んでいる人達は、「日本人は〇〇出来ない」と、自分が個人として反省すればいいことを他の日本人もそうだと全員を巻き込んで非難してしまう

個人主義のヨーロッパでは、団体の持つ問題への指摘を私個人への問題の指摘と受け止めることは、先ず無い
自分の会社の不備を顧客に個人的に謝れる日本は、凄く特別だと私は感じるけれど、これは日本においては普通の思考、そしてそれが転じてmustになってしまっているという、厄介な状況に陥っている

そ し て、
大きな問題は、国の問題をいちいち個人的に受け止めて、「日本国は間違ってない=私は間違っていない」と言い続けても、自分の環境を良くする事はできない(全く不満が無いのなら別だけれど)ということだ
これでは、国民が国を自分たちの居心地の良い国にしていこうという民主主義の本来の姿が見られない

このワンネスの思考がある人たちに、問題を個人的に受け取らせないように上手く伝えるには、どういう手段があるのだろう…と私は考えているところです


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