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孤立と孤独、居場所について

 あるニュースを見ていて「孤立と孤独」というワードが、目に留まった。この二つの言葉にはどんな違いがあるのだろう。そう思って調べてみると、「孤独」とは、寂しいという主観的な『感情』のこと。一方「孤立」とは、客観的に見て、他者とのつながりが少ない『状態』を表すらしい。

 社会的な孤立が、孤独(感)を深める。こういう使い分けになるのかな。でもなかには、孤立していても、孤独を感じにくい人だっているだろうし、孤立していなくても、孤独を感じやすい人はいるんじゃないかと思う。

 そのニュースでは「不幸な生い立ちがあって、社会から孤立してしまい、生活的にも困窮し、被害妄想を抱えて凶行に至った……」と、事件の経緯が説明されていた。ひとによって、いろんな受け止め方があるとは思うけど、僕は真っ先に「誰にでも起こりうること」じゃないのかなって感じた。

 生い立ちに限らず、人生には選べないものがたくさんあって。それでも、自分がいま手に持っているもの(配られたカード)でやっていくしかない。でもそれがあまりにも少ないとか、ろくなものじゃないとか、抱えきれない重荷を背負わされてしまうことも、往々にしてあるわけだから。不公平感を覚えてしまうのは、仕方ないとも思う。

 もちろん、同じ境遇にあっても、全員が同じことをするとは限らないし、自分で選択できることだってある。「自己責任でしょ」って切り捨てるのは簡単なことなんだけど。でもそれじゃ、いつまでも問題は解決しないから。やっぱり「孤立を減らせる仕組み」が、社会には必要なんだ。

 孤立を減らせる仕組みとは、言ってみれば「居場所を作る」ってことで。僕が普段過ごしているメタバースは、まさに打ってつけじゃないかと思う。物理的なロケーションを選ばずに「いつでも、誰かとつながれる」ことは、大きなアドバンテージになると思うから(導入コストの問題はあるけれど)

 ただ、メタバースで過ごしてみて思うのは「孤立する人」には、やっぱりそれなりの理由があるってこと。みんなと仲良くできない、攻撃性が強い、他者に依存してしまう、あるいは依存されることを極端に避けるみたいな。どうしてそう思うのかと言えば、僕自身もそんな特徴があるから。

 だからこそ、普段はひとりで過ごしているし、それが自分にとって自然な状態だと感じている。他人から見れば「孤立」しているかもしれないけど、僕にとってはわりと快適な状態で。だけど、そうは言いながらも、ときどき会いに来てくれる友達もいて、noteでつながってる人もいる。それはそれでやはり嬉しいもので。本当の意味での孤立には、遠く及ばないのだろう。

 個人の抱える「孤独感」は、拭えないものかもしれないけれど。望まない「孤立」を少しでも減らせたら。なんて、柄にもなく思ったりする。


撮影ワールド:Carnelian Town - Rainy Night/Nekoro さん

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