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2019年春アニメ感想 キャロル&チューズデイ

この記事は、もともとは2019年7月1日に掲載予定だったものです。事情はこちら→ご無沙汰しておりました。

 クリスマスの火曜日の物語。

キャロル&チューズデイ 1話 (14)

 渡辺信一郎監督で、制作はボンズで、舞台は火星……そう聞くと『カウボーイビバップ』を連想するしかない。お金の単位がウーロンだったり、中国人の姿がちらちらあったり(キャロルが住むアパートの大家が中国人風)、『カウボーイビバップ』を連想させる部分は多い。しかし作中には特に明言される箇所はなく(時代が違うんじゃないかと)、この辺りは観る側が勝手に「同じ世界観に違いない」と思うことにしましょう。

キャロル&チューズデイ OP (5)

 さて、未来のお話。文明は進んで、人々の娯楽はAIが提供できるようになった。そんな時代に、あえて人の手で、人の声で音楽を作っていこう……そんな無謀に挑もうとした2人の少女が主人公となる。
 現代のAIはあちこちで注目されてはいるが、はっきりいってショボい。pixivにはAIによる自動着色があるが、これで私は自分の絵を何枚か読み込ませてみたが、まともに色を塗ってくれたことは一度もなかった。文章作成でも、AIは単語を読み取ることはできても、連なった文章や文意を理解できるわけではない。当然ながら、「美しい文体」なんてものも理解できない。音声認識があるが、単語を拾って、あとは頭の良い設計者がそれに合うような回答を用意しているだけであって、別にそこまで高度なAIが語意を理解しているわけではない。
(人から話を聞いたがSiriに「おいしいパスタの店を教えて」と「まずいパスタのお店を教えて」と話しかけた場合、同じ検索結果が出るという。これは「パスタ」「お店」という単語のみをひろって、頭の良い設計者が検索結果を出すように仕組みを作っているだけで、「おいしい」「まずい」は読み取っていないんだそうだ)

 それも、現在のお話であって、未来のお話では? 未来の世界において、エンターテインメントやアートはどのように変質しているのか?
 AIが物語を作り、無限に提供する。現代ではまだ現実味のないお話だが、未来の世界ではあり得なくもない話だ。物語創作においても、“物語のパターン”、“定石”なるものはとっくに解明されている。こういうものをきちんと学べば、誰もが良い作品を描ける(問題なのは、ほとんどの作家が教本に書いてあることを無視することだ)。
 絵についても、構図の設計、レイアウトのパターン、色彩の構成法とか、こういったものはかなり解析されている。これらの定石を一つ一つきちんと学べば、(ある程度の素質は必要だが)誰だって一流の絵師になれる。
 音楽については私は門外漢だが、同じようにパターンや定石といってものは研究され尽くされているのだろう。
 ボヘミアン気質なアーティストはこういう教科書に書かれているようなロジックや定石を無意味と軽んじるが、結局はいうと、「良い芸術」「良い娯楽」は定石にきちんと則っているもののことである。どういった作品に「快楽」が現れ、どういったシーンを作れば人々に響くのか、どういった展開を描けば「意外性」と読み取られるのか……。そういう諸々はすべて計算尽くで出そうと思えば出すことができる。
 「才能」というものがあれば、確かに学ぶ必要もなく「正解」に行く着くことができるが、それは「天才」だからである。だが作家の99.9%は気持ちだけはある凡才。凡百の作家は、正解に行き着くためにきちんと学ばなければならない。そのための教本が世の中に一杯あるのに、誰もきちんと読んでいない。だから凡庸な作品が大量に溢れている。才能のない者は研究して、計算して作品を作らねばならないのだ。
(「創作に勉強は必要ない」という話はよく聞くが、そういうのは大抵、天才の意見だ。天才の理屈、天才の考える論理などは、天才以外は全く役に立たない、意味がない、ということを知らなくてはならない。天才の理屈が使えるのは天才だけだからだ。そして99.9%の作家は天才ではない)

 現代でもAIにアートを作らせる試みは始まっているが、できあがるのは奇怪な怪物ばかり。それはAIの技術がショボいからだ。なにしろ文章すら理解できていないわけだから、AIによる芸術はまだまだ遠い未来だろう。
 それに、AIはおそらく将来、どんなに発達しても「カウンター」の概念を持つことはない。なぜならAIに「社会」はないからだ。体感する社会がないから、その時代にあるものに対してカウンターをぶつけてやろうという発想が生まれない。その時代にあるものに対して異議申し立て、あるいは“提唱”をするのは、数百年後も数千年後もAIではなく人間の仕事だろう(もしかしたら唯一の人間の仕事になるかもしれない)。
 とりあえず未来の世界においてはAIはもっと高度になって洗練され、人々が望む娯楽を瞬時に生成し、提供することだってできるだろう。
 そんな時代が到来したときに、人間とはなんであろうか。芸術や創作から切り離されてしまった時代が来たとき、何を持ってして人間を語るべきか……。

 と、話が脱線しかけているが、こういう話をするのは、私がこれからそういう物語を書く予定だったから。『キャロル&チューズデイ』を見て、「あっちゃー先を越されたな」と頭を抱えてしまった。
 ただし、テーマは近いものでもモチーフはまるっきり違うから、きっと大丈夫。うん。

 物語は、深い動機もなく始まる。
 チューズデイはいいところのお嬢様だが、当てもなく家出をして……。そこで橋の上で演奏している褐色の少女の姿を見かけて、なんやかんやがあって一緒の生活が始まる。
 動機もなく、計画性もなく、おそらく衝動だけで話が始まる。

 一方のライバル的な存在アンジェラ&タオはすでに「持っている者たち」だ。金も経験も知識もしっかり持っている。広告的な戦略もしっかり練って、どんな音楽を作るべきか、がっちりと計画を立てる。そのための過激な特訓もする。

 何もかも自分の手で、ノートに手書きで歌詞を書くようなキャロル&チューズデイに対して、アンジェラ&タオは最新のマシンを使って、AIアシストも使いまくりで、未来の技術を使いまくってアートを描こうとする。
 果たして勝者は?

 キャロル&チューズデイを演じるのは島袋美由利と市ノ瀬加那だ。島袋美由利は2017年声優デビュー、市ノ瀬加那は2016年デビュー。新人も新人の2人だ。
 一方のアンジェラ&タオは上坂すみれ&神谷浩史。アニメ好きなら誰もが知っている、超ベテランの2人組だ(かといって“大御所”ではない……という立ち位置)。
 「なにもない新人」と、すでに一時代も築いて「持っている者」である大ベテラン。

 ちょっと連想してしまったのが『ロッキー4』だ。
 ボクシング映画『ロッキー4』では、ライバルとなるソ連のドラゴは、政府が結成した科学者チームが考案した訓練法で鉄壁の肉体を作っていくのに対して、ロッキーは相変わらず大自然を相手に、野生味たっぷりの訓練法で体を作っていく。
 さて、勝者はどっちだ?
 結局は試合を通してドラゴはロッキーに感化されていくし、ロッキーが勝ってしまう。わかりやすいオチだ。
 いつの時代でも、「肉体VS科学」の対決は燃え上がるものがある。
 しかしこういう構造を作ると、お約束として「科学」サイドは敗北してしまう……というオチが見えてしまう。ラストには神谷浩史演じるタオが、それらしい憎まれ口を漏らして、舞台を去って行くんだろうな……。

キャロル&チューズデイ 1話 (11)

 ほぼ毎エピソードに演奏シーンが挿入されるが、さすがに渡辺信一郎監督。「見事」「素晴らしい」というしかない出来だ。
 印象的なのは第1話。キャロルの家に上がり込んだチューズデイは、持っている楽器でセッションを始める。キャロルが演奏を先行して、チューズデイが追おうとする。しかし最初はうまくいかない。音がずれたり、途切れたりする。それが次第次第に重なって、はまって、“音楽”が生まれてくる……。気持ちが重なって、コンビとして成立する瞬間を、音楽で、演奏する絵で表現している。渡辺信一郎でないと絶対に描けないような名場面だ。毎回の演奏シーンがただただ楽しみだ。

 ただここでキャロル&チューズデイのコンビが鉄壁のものとして成立してしまい、その後、2人の関係に葛藤や対立といったものがほとんど描かれることはなかった。
 おそらく、そこに興味がなかったのだろう。そこを描くよりかは、2人がどんな困難にぶち当たるか。そこをいかに楽しく、奥深く描けるか。こっちを物語のメインテーマにしたかったのだろう。その意図はわかるし確かに面白いが、もう少しキャロル&チューズデイの友情が育まれていく過程を見ていたかったような気がする。

キャロル&チューズデイ 1話 (12)

 第1話の演奏シーンの余談。
 キャロルはうなじや肩を露出しているスタイルだが、演奏シーンに入ると、このラインが非常にエレガントに見える。“エロス”はあまり感じない。体をゆらし、時々肩のラインにハイライトがあたり……この動きが美しい。うっとりとして見ていられる。キャロルの首は、現実的な目で見ると長すぎなのだが、動いている場面は優雅で美しい。いいキャラクターデザインだな、と感心する。
 キャラクターデザインはキャロルが肌が浅黒い。うなじ、肩、腕を露出した、野生味のある格好だ。一方、お嬢様出身のチューズデイはだいたいいつも白のドレスふうのスタイル。ほとんど肌を見せない。
 対照的なデザインだが、非常に良い。2人とも、違う意味でエレガントな美しさを持っている。キャロルは肉体、体のラインそのものを美しいと感じられるし、チューズデイは洗練されたお嬢様としての品格が絵に現れている。

キャロル&チューズデイ OP (15)

 余談ついでにオープニングシーンについて。
 今期アニメではベストに推したいオープニングアニメーション。
 昔の東映アニメでありそうな、コンテのざらつきが出た背景に、主線に色を付けたキャラクターたちが歩いている。動きはミュージカル風。道行く人が急に踊り出したりする。
 昔風の画作りだが、非常に洗練されている。エレガントで美しい。1カット1カットが絵として美しいし、動きも見事だ。
 ミュージカル風の見せ方で、キャロル&チューズデイが街で出会い、最後には路上演奏シーンで終わる。あまりSF風ではなく、どこかの時代のミュージックビデオにありそうな構成だ。これが非常にいい。作品の雰囲気、テーマに合っている。

キャロル&チューズデイ OP (6)

 さてさて本編物語は。怪しい音楽プロデューサー・ガスの目にとまり、キャロル&チューズデイの珍道中が始まる。この過程は、意外と笑える場面のほうが多い。
 渡辺信一郎監督といえば、『スペースダンディ』のようなギャグアニメもあるし、シリアスなSFという後味が強い『カウボーイビバップ』もよくよく見ればギャグエピソードかかなりたくさん描かれている。ギャグの多い展開は、実は渡辺信一郎らしいところ。
 メディアについて。インスタグラムがあったり、YouTubeと思わしきものがあったりと、意外と現代と接点がある(ニコニコ動画は出てこない。たぶん日本を主戦場とするメディアだからだろう。それに『キャロル&チューズデイ』は世界に向けて配信されているアニメで、日本語が画面を覆う演出は避けたのだろう)。おそらく想定としては、「未来・火星」が舞台となっているが、感性のありようとしてはそう遠くない未来の物語としているのだろう。ピコ太郎とかジャスティンといった人物の名前も出てくるし(この辺りの名前が出てくるのはジョークだが)。
 現代くらいの感性で、もしもAIによる創作が世間に溢れていて、その中で“人間”が創作をしようとしたら。
 ガチガチなSFというより、少し未来における創作の有り様。そして、結局はキャロル&チューズデイのような女の子のサクセスストーリー。少し先の未来でもあり、遠い未来の物語でもあり、そのどちらにおいても普遍性を持つのは、どこの時代にでもあるような2人の女の子の物語……。そういう狙いなのだろう。

 知り合いのツテを頼って大物アーティストの家に飛び込んだり、また知り合いのツテを頼っていきなり巨大フェスの大舞台に飛び込んだり、紆余曲折を経てやっとこさ原点へ、第7話にしてやっとこさオーディション番組に出る……とキャロル&チューズデイの歩みはかなりゆっくりだ。
 実は、これを書いている段階で、まだ7話。この先の展開をまだ知らない。次回の展開が楽しみな作品である。

※ パソコンの故障で、10話あたりで視聴が途切れてしまった。結末がどうなったか、知らない。


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