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8月22日 どうやったら私の書いているものに商品価値は発生するのだろう?

 このブログは無料だ。書いたものは基本的に無料で公開している。でもよくよく考えると、それはどうなんだろう……という気はしている。だって、記事によっては1万字越えとか普通にある。そういうものを、誰からも対価をもらわず、無料で公開しているって、そこそこクレイジーだよな……という気がしたんだ。

 でも、どういったものが「価値のある文章」と言えるのだろうか。
 どうして私はこれだけの分量を無料で公開しているのかというと、「お金取るようなことは書いてない」から。
 別に私の書いている思想や知識に価値があるわけではない。映画感想文や読書感想文はその元になっている作品には紛れもない価値はあるけど、私が書いているものには価値がない。だから私のブログでお金を取るのはどうなんだい……という考え方だ。
 もしも私が、世間の誰も知らないような秘密情報を握っているなら(例えば向こう1年分の競馬勝敗予想とか)、その情報にはお金を取るべきだ。でも私は、そんな情報なんぞ持っていないので、「お金は取る価値はなし」と考える。
 だから無料で公開するけど、元になっている本や映画のAmazonリンクは貼るよ。そっちは金を出して買ってね(ついでに紹介料もらうよ)。
 というスタンスだ。元々の作り手にお金が行く……というのが一番自然だと考えているからそうする。だから本買っておくれよ、といつも思いながら書いている。
 ただし、私のブログから本が売れたことはほとんどないんだけどね。

 でもよくよく考えれば、1万文字や2万文字の記事を無料で出すというのも、やっぱりクレイジーな状況だ。そういう長文は今どこに行っても有料だ。
 私がもうずっとずっとつらいと感じているのは、とにかくお金がないこと。生活するのにギリギリ。パンツも靴下も新しいものを買えないから穴が開いてボロボロ。せめて、読んでいる人がAmazonリンクで買い物してくれたら、私の所に幾ばくかの紹介料が入って、それで生活できるんだけど、アフィリエイトの収益って月300円程度しかないんだ。マクドナルドでセットも買えないお金だ。

 でも私は、金をもらうようなものは書いてないと考えているから、これからも有料記事を書くつもりがない。
(有料にしたところで、誰も読まないだろうし)

 ではどういったものなら、お金をもらう価値があるのだろうか。どういったものならお金をもらう価値がある文章だといえるのだろうか。

 いま、いろんなラジオ番組が有料なんだ。ニコニコ動画で配信されている声優ラジオ番組のほとんどが有料。音泉にも有料番組が多くなっていて、『ユーフォーニアムラジオ』聴きたいと思っているのに、有料だから聴けないでいる。無料なのは、ごくわずかなアーカイブだけ(おかげで聴けるラジオがずいぶん減った)。

 どうして声優のラジオが有料であることに誰も異議を出さず、お金を払うのか。それは声優の「声」そのものに商品価値があるからだ。声優は声に価値があるから、その声に対して対価を払うのは当然だ……という考え方になる。これに異議はない。

 私もものすごい美声の持ち主で、ブログで書いているような内容を動画で喋れたら、それは商品価値ありだと自分でも考えるだろう。
 でも私はとんでもなく滑舌が悪いのだ。私の声に商品価値はない。むしろ「聴いて欲しいんだったら金を払え」と言われるレベルだ。
 では文章だったら? 私が次から次へと名文を書くことができて、私の書いたものが世間でマネされるくらいなら、それはお金を払う価値のある文章だと言えるだろう。でもそんな文章、一回も書いたことがない。私の文章自体に「商品価値」なんぞないのだ。

 岡田斗司夫さんの番組を見ているが、あの番組にはお金を払う価値がある。まず時間。毎回60分から90分喋りっぱなしで、情報密度が濃い。あの番組で初めて知ることは非常に多い。聴いていて有意義である。あの情報密度なら、お金を払う価値がある。

 私が書いているものに同じくらいの情報密度があるなら、お金を払う価値はあるだろう。だが、私はそんなものは書いてない。だいたいは映画や本に書かれているようなことだ。私はその受け売りをしているだけに過ぎない。もしも私しか知らない、それでいてみんなが知りたいような秘密情報(例えば未来の株価情報とか)を私が持っていたら、その情報にはお金を取るが、私はそんな情報なんぞ持っていない。

 では私はこれからも誰からもお金を受けずに書くべきなのか。1万文字や2万文字のクレイジーな長文を書き続けるのか?

 実は、マネタイズを試みたことがある。以前、Kindle書籍で、『とらつぐみ日記1』という本を作成した。私がブログ上に書いたことをまとめた本だ。
 Kindle本について調べているときに、ブログ上に書いてあることをまとめただけの本がけっこう売れている……という話を見付けたので、私も試しにやってみよう……と。もしこれで収入が出せれば、ブログは無料で、お金を払いたい人が(内容一緒だけど)書籍版を買えばよい……構造を作り出せるんじゃないか、と考えたんだ。

 結果、『とらつぐみ日記1』は売り上げ0。読まれたページ数0。『とらつぐみ日記2』の予定は頓挫した。

 散々な結果が出て、頓挫した『とらつぐみ日記』の続きだけど、でも切り口を変えてもう一回やってみようかな……という気はしている。次はテーマを決めてセレクションして、アニメユーザー向けや映画ユーザー向けに特化したものを出すのはどうだろう……と。
 でもそういうとき、著作権の問題はどうなるのだろう……この懸念があったから『とらつぐみ日記1』は特定の作品をテーマにしたり、言及したしたブログ記事は載せなかった。もし可能なら、「ブログセレクション」的な本を出せるかな……。

 でも出したところで、やっぱり売れないだろうなぁ……という予感はしている。
 なぜか?
 なぜ人は特定の人の本を買うのか?
 作品が素晴らしいから? それとも内容がユニークだから?
 違う。描いている人のキャラクターが好きだから買っているのだ。「作品が素晴らしいから」で買っている人も多かろう。でも「作品が素晴らしいから」という動機じゃない人は、その人のキャラクターが好きだから買っている。「推し」の発想なんだ。「その人が後に素晴らしい作品を作ってくれるに違いないから投資だ」じゃなくて、その人のことが好きになったからお金を払っている。

 で、私にはそういう支持で読んでくれている人が1人もいない。私自身も、そういうパーソナリティを隠して書いている。
 パーソナリティを隠すのも、とらつぐみ(鵺)というキャラクターとしてのこだわりでもあるのだけど……。

 じゃあ何かしらのパーソナリティ出してみる?
 私、そういうのがさっぱりダメなタイプなんだけどさ。
 「私に人格なんてあるのだろうか?」てな感じ。
 パーソナリティを出そうと思ったら「作る」ことになるけど。

 ブログで書いたものを動画化するのはどうか?
 実は一度計画が立ち上がり、結構な時間をかけて準備をして、原稿が書き起こされ、東北ずん子さんでのボイス化まで進んでいた。1時間半ぶん(動画3本分)の原稿がボイス化されている。
 ところが、ここで計画が頓挫してしまった。
 なぜなら、動画編集ソフトを買うお金がなかったからだ。
 東北ずん子さんという、可愛らしい声を採用したので、その声に見合う可愛いキャラクターを書き起こさねばならない。しかし、今の私に、絵を描こうという意欲が全くない(絵を描くのは疲れ果てた。もう描きたくない)。
 今から動画編集ソフトの使い方を学び、膨大に用意された画像から動画を作る……制作にどれだけかかるんだろう……。そこそこリッチな感じで30分の動画を作ろうと思ったら、1ヶ月くらいは軽く消費するのではないだろうか。私にそんな時間はない。他に書きたい作品があるのに、動画だけに集中なんて、やってられない。
 と考えているうちに、動画化計画の意欲を喪ってしまった。
 たぶん、このまま頓挫だ。原稿、ボイスともにお蔵入りだ。


 まとめ本もダメ、動画化も頓挫。
 かといって、これからもクレイジーな長文ブログを無料で出していくのはどうかという気もする。誰からも対価を払ってもらえないなら、自力でお金を生み出すしかないわけだが、その方法が見いだせない。
 どうしたらいいのやら……。


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