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11月13日 今週のファミ通の感想

 なんか雑なピックアップだなぁ。お話の内容も軽~いものを書くつもりなんで、気楽に読んでください。

 今週発売ファミ通(11/26 1667号)はPS5発売記念特集が組まれている。  その中から1つピックアップ。


西野「プレイできるゲームの世界が広がるにつれて、すべての要素をクリアーするのに、ある程度の時間がかかるようになりました。クリエイターさんから、コンプリートしてくれるユーザーが減ったという声をいただくことが増えましたし、我々もそうではないかと残念に感じていて」――P77

 私もこの部分気になっていたことで……。
 というのも、最近のゲーム、普通にクリアするのに50時間。コンプリートクリアしようと思ったら、200時間300時間……もっとかかるものもある。正直なところ、そんなに付き合っている余裕はない。私はここ数年は「ラスボス倒してエンディングまで来たらおしまい。次のゲーム」ということにしている。
 どうして今のゲーム、コンプリートクリアしようと思ったらこんなに時間が掛かるのかって、そりゃマップが広大すぎ。あのマップの中に様々なサブミッションがあります……、と言われてもね。ゲームを始めた最初の頃は付き合うけれども、やっているうちに飽きちゃうのよね。広大なマップの中を何度も行ったり来たりして、これに何時間も浪費して次第にそのゲームから楽しみは消えて、離れたくなってきてしまう。最初の頃はゲーム中の異世界を楽しんでみていたけれども、「この風景何度見たかな……」って通勤途中の電車の窓から見ている風景程度の感慨しかなくなってしまう。
 私は『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』が好きで、すべての祠をクリアしたけれども、実は2カ所だけ攻略サイトを見てしまった。なぜ攻略サイトを見てしまったのかというと、『ブレスオブザワイルド』の広大なマップの中、のこり2カ所がどこにあるのか、見当も付けられなかったからだ。あの広大なマップをもう一度巡り歩いて、祠のありなしを精査する……? 何時間かかる作業になる? さすがに無理だ、と攻略法を見た。
(コログの実蒐集は諦めた)
 それにね、別にコンプリートしても得られるものって何もないじゃない。別にそれで最強の武器が得られるわけじゃない。最強の武器が手に入るケースはあるけども、それで戦う敵がいない。「なんのために?」というお題がない。お題がないまま、ただただ無数のミッションがある。これを一つ一つ潰していく作業って、それは虚無でしかない。

 昔のゲーム……PS初期時代のゲームだったら、50時間もあればコンプリートクリアできたような気がしている。でも今のゲームは50時間じゃ効かないし、マップが広大すぎてどこに何があるのか探しようがない。
 ゲームの規模って、あれくらいで良かったのにな……と昔からゲームをやっている年寄りは思ってしまうわけです。

 そのゲームに対して新鮮な気持ちが得られなくなったら、もう離れたほうが良い。次のゲームに移ったほうが良い。まだコンプリートしていない要素があったとして、それを蒐集する作業が残っていたとしても、そんなのやっていても単なる義務感でしかないわけで、それは遊びではなく労働。私はゲームで遊びたいので、コンプリートを目指さない。

 それで、ゲームに公式として「攻略法」を付けちゃおう、というのがPS5の試み。
 実は私もゲームに「攻略法を付けたらどうか?」とずいぶん前から考えていて、なにかしらで実際的な提唱も行うつもりだった。まあ、もう先を越されちゃったから、後出しでしかないけど。

 今のゲームプレイヤーは、ゲームに行き詰まるとネット上のどこの誰が作ったかわからない攻略サイトを見てしまう。でもどこの誰かが作ったものかわからないものを参照されるのって、作り手的な気持ちとしてどうなんだろう……? と思っていた。
 「攻略サイトは見るな」とは言っても、全てのプレイヤーは暇な中学生ではない。みんな忙しい。仕事もある。時間が限られているから、ゲームで遊ぶ時間はちゃんと進んでいる実感が欲しい。
 それに、ゲームプレイヤーの誰しもが上手いわけじゃない。『ドラクエ11』のクリア率って48%だったかな。『ドラクエ11』は遊びやすい作品で、エンディングまでの丁寧なガイドラインのあるゲームだから、クリア率は90%くらいいくんじゃないの……と私は思っていたけど、現実は48%くらい。
 『マリオメーカー』の、誰にでもクリアできそうな簡単なコースでも、クリア率50%とかだったりする。超難易度コースはクリア率1%とか……まあこれは当然か。
 ゲーマーはついつい自分基準で世の中を考えがちだが、本当の世の中はそんなもの。実は「ゲームは難しい」と思われてるし、それが「多数派のプレイヤーたちにとって遊ぶための障害になっている」と考えなければならない。特に作り手となるほうは、これを留意しなければならない。
 「難易度が高い=正義」とか思ってちゃダメなんだわ。

 PS5はどのインタビューを読んでも「没入感」をキーワードとしている。実際のゲーム画面を見ていると、「ゲーム画面」というより「遊べる映画」という感じがしてしまう。映画の世界に直接入り、直接介入できている感じ。これがその以前の「それっぽい感じ」ではなく、PS5は色んなものが極まり始めて、いよいよ「本当」っぽく感じられるようになってきた。かつてはムービーは見ているだけだったが、今はムービーの中に入って遊べる感じだ。
 見ていると、一つ一つのシーンを映画演出のように作り込んで進行するゲームが多い。実際にやってみると、本当の映画のように高揚して、どんどんテンポ良く進めていきたいと思うだろう。
 しかしそこでゲームオーバーを突きつけられたら? ゲームオーバーは状況がリセットされて最初からになる……という状況話だけではなく、その時の気分もリセットされてしまう。その直前までは確かに物語の世界にいた気持ちになれていたのにな……でもゲームオーバーを突きつけられると、我に返っちゃう。

 こういうゲームは、世界観とか物語ではなく、ゲームとしての仕組みや構造のほうに目が行ってしまう。こういうところに目が行っちゃうと「没入感」とは言わない。
 ゲームというのはなかなか難しいもので、バトルシーンってちょっと「苦戦」したいんだ。バトルシーンであっさり敵を倒せちゃうと「あれ? なんだ」ってなるし、しかし何度もゲームオーバーを叩き返されるバトルだと憂鬱になる。ある程度「苦戦」をした上で、その上でクリアしたい。そうした瞬間、ある種の解放感というか、もはや恍惚に近い感覚を得ることができる。
 マーベル映画でも短い時間であっさり倒せてしまう敵が出てくると「なんだ?」ってなる。マーベル映画で盛り上がるのは絶対的な強敵が出てきて、そいつを倒すのに2時間がっつりかけて、さまざまな犠牲を乗り越えてやっとこさ……というのを見ると感動する。
 PS5は色んなものが映画的になっていくのだけど、ゲームの形式は昔のまま……というわけにはいかないだろう。ゲームも映画と同じく「物語を体験するもの」と考えた場合、クリアまでの過程をいかにクリエイトできるか。プレイヤーの感情をいかに揺り動かして、最終的に感動まで導くか。いつまでも作り手の提示したパズルを解いてクリアせよ……というわけにはいくまい。プレイヤー一人一人の感性に合わせて、いかにシーンを設計していくか……と考え方自体も新しくしていかなければならないだろう。

 で、その展開を止めさせないためにも、常に攻略情報をガイドとして画面に載せておく……というのも手法の一つかな、という気がしている。本当言うと、それがゲームの中にうまく溶け込んで、プレイヤーが気がつかないガイドになっているのがベストなんだけど。

 PS5はそういうゲーム世界への没入感というテーマにどんどん突き進んでいくんだな……。
 任天堂はどうかとうと相変わらず「おもちゃ」としてのゲーム。
 前にも書いたけれども、PSシリーズは「直線」で進化の道を推し進め、任天堂は遊びの「横幅」を広げている。任天堂が広げた遊びを他が採用して、進化させていく。この構造で進んでいけば、PSシリーズと任天堂ハードはいい関係でいられるな……という気がしている。この関係性ならPSがいくら売れてもSwitchの売り上げは変わらないだろうし、Switchが売れてもPSの売り上げは変わらないだろうから。

 お忘れかも知れないけど、今回のお話はPS5のお話ではなく「ファミ通の感想文」。
 では私の大好きな「ファミ通町内会」の中の「わたしの報告書」からネタを1つ。

 菊人形が動いたような気がしたけど、日本版『トイ・ストーリー』と説明されて納得。
                              P109

 これね……。なんなんだろうね。『トイ・ストーリー』はあんなに愉快なのに、日本人形が動き出すと「怖い」って気がしちゃうんだろう? 不思議だよね。
 ひと笑いしたあと、しばらく考えちゃったよ。


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